1/22は「藤井郷子オーケストラ・名古屋」のライブです。

当店のTAKEDAが出演しておりますので、1/22はマタハリは臨時休業です。
よろしくお願いいたします。

1/22(木)名古屋Tokuzo tel:052-733-3709
      open 18:00 start 19:00 前売り3,500円 当日3,800円
      http://www.tokuzo.com
      藤井郷子オーケストラ名古屋 10周年記念スペシャルライブ

      藤井郷子(cond)
      武田信吾(as) 吉丸昭彦(as) 松本健一(ts) 花輪嘉泰(ts)
      平尾義之(bs)
      三原智行(tb)照喜名俊典(tb) 吉野竜城(tuba) 
      田村夏樹(tp) 渡辺勉(tp) 辻田隆浩(tp) 石渡岬(tp)
      近藤久峰(ds) 石垣篤友(b) 臼井康浩(g)
      スペシャルゲスト:ジム•オルーク(g)

うちのTAKEDAは、アルトサックスで参加しております。
で、なんといってもジム・オルークのゲスト参加に、期待が高まります!
私、去年行ったライブでもっとも体の奥底から震えたライブって、坂田明ジム・オルークが共演したライブだったなあー。

今回は、ジム・オルークは2部から参加だそうで、その2部は全面新曲だとか。
藤井郷子さんの曲は、溢れる叙情性があって結構泣けるんですけど、しかし構成もリズムも非常に難解なのです。そういう曲の譜面を、多くの場合、なんと当日のリハで渡されるのですね。
で、それを皆さん、初見でリハで演奏し、そして本番。や、もう本当に観客の私もドッキドキです。
明らかに藤井さんたちはそういう状況を楽しんでますね。
で、今回の新曲は、ロック色の濃いものになる・・・とか、なんとか・・・。や、まだどうなるかわかんないそうですけど・・・。

さて、私には一つだけ「間違いなく私が世界で一番」と自負するものがあります。
それは、藤井郷子オーケストラ名古屋のライブを、世界で一番たくさん見ているということです。これに関しては世界に君臨!ですぞ。
なにせ、第一回目の頃から全部行っているのみならず、そのうち何度かはリハも行って聴いているわけですから。

一番最初は、1999年1月29日(金)のTOKUZOです。
TOKUZOは1998年9月にオープンしました。確かオープン当初のライブは梅津さんとか近藤房之介さんとかのライブで、さすがにオープンハウスをやってた森田さんの店だ、と、思った覚えがあります。
でも私たちが初めてTOKUZOに行ったのが、オープンから4ヶ月経ったこの時の藤井郷子オケだったのです。

藤井さんのことを知ってたわけではありません。以前、他のライブに行った際の名簿から臼井さんがDMを発送してたようで、このライブ告知のDMが我が家に届き、なにやら面白そうだからと行ってみたのです。

あの時の藤井オケはメンバーが今と随分違ってます。
何より印象的だったのが、アルトサックスの「もQ」さん。時折ライブに行くと、もQさんもよくお客さんで来てました。円らな眼のスキンヘッドの人。そのもQさんが茹ダコみたいな顔でバリバリ吹いてて、客席から「アホー!!」「「アホー!!」と声援と即席紙吹雪が。他にサックスでは女性で奥山さんとか。あと、バリトンサックスは現在、渋さ知らズや鬼頭ブラスやってる鬼頭哲さんだったしなあ。トロンボーンに関西で活躍する女性安藤さん、だったと思います。
お客さんは結構入ってました。
で、音圧がすごくて。
そして藤井郷子さんの作曲の「sora」だったかなあ、聴いててボロボロ泣けたんですよ。音圧と、それからなんだろ、あの曲の構成かなあ、メロディなんかなあ。なんかわからんけど、とにかく泣けて泣けて。
あの日のライブは、メンバーからものすごい緊張も伝わってきました。あの難解な曲を、ほぼ初顔合わせであろうメンバーで演奏するのだから。聴いてても手に汗を握ってしまうほどでした。
で、終わったあと、確かテナーサックスで1回目から現在まで参加している松本健一さんが、すごく晴れ晴れしい表情でみんなと握手してたのも、この回だったか2回目だったか。もうああいう感じって今はもうないのですけど、あの光景もとても印象的でした。

あれから10年の藤井オケ名古屋。
よろしければ是非、足をお運びください。

藤井郷子プロフィール】(セッション505ホームページより抜粋)
4才よりクラシックピアノを始める。
高校時代、クラシックピアノを宅孝二氏、作曲を南弘明氏、三枝成章氏、指揮を金子登氏に師事。高校卒業当時、宅孝二氏の大きな影響もあり、ジャズに興味を、書かれた譜面を演奏するだけのクラシックに疑問を抱く様になる。音大進学を希望する両親と意見が対立し、20才で上京する。ジャズを通じて即興という行為主体の表現に出会い、楽器という道具を介在しない、声を出す、物をたたいて音を出す(床、壁、手、、、などなど)即興の音楽集団を結成。東京都内の公園、劇団の稽古場等で神出鬼没に演奏する。
22才、それ以前よりその演奏、音楽を敬愛していた板橋文夫氏にジャズピアノを師事。再びピアノという楽器に儲る。パントマイムや舞踏(ギリヤーク尼崎氏ら)と即興音楽のジョイント公演を都内のイベントスペース等にて精力的に行う。
26才、渡米。ボストンのバークリー音楽院入学。同校では主にアレンジを学ぶ。ハーブ・ポメロイ氏のラインライティングを首席で修了。校凱では、ジェリー・バーゴンジ氏に即興を学ぶ。同校の教育体系に疑問を抱きつつも、2年半、5学期間で同校を優等賞にて卒業。帰国する。
西洋音楽だけ学んできた事に疑問を感じ、日本民謡を民謡歌手、藤堂輝明氏に学び始める。
93年再び渡米。ボストンのニューイングランド音楽院サードストリーム別科に入学。94年同大学の本科大学院ジャズ科に再入学。ポール・ブレイ氏、チャーリー・バナーカス氏、ジミー・ジェフリー氏、ジョージ・ラッセル氏、ジョー・マネリ氏、セシル・マクビー氏等に師事。ジャズだけでなく現代音楽、民族音楽等も同大学院において学ぶ。
97年9月、日本クラウンよりMark Dresser(B)とJim Black(Ds)とのピアノトリオのCD「ルッキング アウト オブ ザ ウインドウ」を発表、米国ジャズ雑誌、Jazzizと、カナダのジャズ雑誌 Codaの評論家年間Top Tenの選ばれる。10月にはイギリスLeoRecordsより自己のオーケストラのCD「サウスウインド」を発表。Codaとオト国ジャズ雑誌 Cadenceの評論家年間Top Tenに選ばれる。
新宿ピットイン、横浜エアジン等、全国のライブハウスで、またニューヨークのニッティングファクトリー、トニック等のジャ」Yクラブでソロ、デユオ、トリオ、セクステット、ビッグバンド等の多種多様なフォーマットで精力的に演奏活動を行う。