the thing +大友良英

ああ、なんだかすごいものを聴いちゃったな。
よかった、お店を休んでまで行って。
や、そんなん言うなら、どんだけでも仕事休んで行きたいよ。昨日のアルタードステイツだって行きたかった。8月頭にあった新宿ピットインの大友さん4DAYSだって行きたかった。来月にあるクアトロでのヒカシューだって休んで行きたいよ。
本当に、たくさんあるんだ。いろんなものが、たくさん。
そんで自分が実際に出会えるものはほんの、ほんの少しだなあ。

TOKUZOは満員で、大変失礼ながら、「近年の大友さんって、なんでこんなに入るんだろ?」とか思っちゃうのだ。今日の「the thing」のことを知ってる人はきっとすごく少なく、みんな「大友さん」で来るんだよなあ。大友さんのメディア力のせいかなと思ってる。私は大友さんの書く文章を読んでると、いてもたってもいられない気分になる。そこにいって、そこにある音を聴きたいという強い欲求。その音の周辺には、「今・現在」というものがひしめきあってて、そこに何か大きな問いと答えがあるのではないかと思ったりする。または、私にも何か関われることはないかと、自分をぐるりと見回してみたり。そういう気分になる。
大友さんは、音楽だけでなく、言葉だとか行動で何かを強く発信していると思うんだ。

しかし、今日のライブで、「近年の大友さんって、なんでこんなに入るんだろ?」なーんて思ったのは、こういってはなんですけど、こういう音楽を聴く人口がそんなに多いとは思えない、と思ってたってことなんですけど、1ステの2曲目で、「いやいや、そりゃ入るわ。そんでこれはきっと、ここにいるかなり多くの人が『いい!』と思ってしまう音楽だよ」と思った。
なんか想像してたよりもかなり劇的な構成で、そういえば大友さんは古いドラマの音楽好きだし、映画もこってりしたものが好きそうだし、このドラマチックな展開にちょっとそういうテイストを感じたりしたのでした。
the thingの3人は音圧といい迫力といい重戦車のようで、大友さんとも相性がよく、なんだか見た目には4匹の怪物がものすごい重さとスピードとキレのよさで疾走しているようでした。しかもそこに劇的な激情が入り込むから、ちょっと魂が奪われてしまうよ。
4人の音以外にも空調の音、周囲の微細なノイズが入りこみ、そして更に多分私の幻聴なんだけども、それ以上に音がいっぱい聴こえてきた。でもぐるぐる回る音の中で、もっと前に行きたかった、この音をもっと体全体で受け止めて、もっともっと内臓まで音に揺さぶられたり刺されたりして、そんで自分のいろんな器官が壊れる寸前まで行ってしまえばいい、と何やら祈るような気持ちでそう思った。大友さんの音は、肉やら内臓やら骨やらに本当に響いてくるのよね。その音の迫力の中で、音がどこまでもどこまでも体に響いて響いて、そんで私が細かい肉片になってしまえばいい! と、ぎゅっと思う瞬間が何度もあったんだ。