清志郎

たくさんの人が悲しんでる。心の中でいつかの夜空を見上げながら。

私の中の音楽の道筋には、清志郎を起点として梅津和時さんに繋がり、そこから広がった大きな流れがある。
ある。
うん。あって、清志郎が亡くなってもそれは変わらないんだけども、でもやっぱり、悲しいなあ。

思い出すたくさんの曲と、それを聴いてた一人の夜、または誰かと共有した夜、いろんな思い、もう25年以上も前のことだけども、どれもこれも鮮烈な記憶。

そおか。
死んでしまうなんて、思ってもみなかった・・・。

5月2日から日付が1つ進んだ深夜。
清志郎の訃報をネットで知り、続々とアップされる知人の日記を読んだあとは、清志郎の映像や動画を見るわけでもなく、音源を引っ張り出して聴いてたわけでもなく、訃報を知ったときには思わず声が出たけど泣くわけでもなく震えているわけでもなく、ただただボーっとPCの前で、RCのことが大好きだった10代の終わりのころの自分を見つめていただけでした。清志郎のことではなく、清志郎を好きだった私について、ただただずーっと、そればかりを考えて夜更かししてました。

例えば「悪い予感のカケラもなぁーいさー」と歌われても、私には悪い予感だらけだったし、そうそう、もっとも大切なことは「愛しあってるかーい!」の声に、いつもいつも、いつもいつも「『イエーイ』って言えないなあ・・・」と思ってたのです。
そういう部分では、私はとてもマジメだったのです。自分から発信する「好き」についてはよく知ってました。「愛する」はちょっと微妙だったかも。でも「愛しあう」という事態が、私に起こるのかどうか懐疑的でした。や、不信でした。「愛される」なんてことはゼツボウテキだと思ってました。
だから、困ったなあ、清志郎に「あーいしあってるかぁーい?」と言われて一人、俯いて、「イエーイ」ではなく「イイエー」と答えなくちゃと、いつもいつも思っていました。
そんな昔の私をあの夜はじっと凝視してました。

高校の時はずっとラジカセで。
家の中で唯一落ち着ける場所だった自分の部屋。
そこにあるラジカセ。
それは、真っ暗だけどもどこか遠い世界に繋がる扉であり、同時に終点のようでもありました。
そのラジカセで聴いてた、清志郎の曲。
そこから受け取っていた、
いろんな、遠い憧れ。

清志郎の訃報を聞き、思うのは、自分自身の遠い過去の、点の記憶。
それは、今となってはいろんなものがうまく欠けてて、都合よく改変されてて、気がつけばなんてまあ、びっくりするぐらい美しくて、とても切ない、一瞬の過去の記憶。
清志郎の音楽を聴いていた、散らばる点の記憶