11月30日

先週は、仕事してるしお喋りするし笑うし楽しんでいるし、けれどもその合間合間に先日亡くなった吉田泰子さんのことを考えていたんだ。
改めて、彼女との出会い、私にとってのよっしー、何を喋ったか、彼女はどんな役者で私はどんな役者だったのか、彼女はどんな人だったのか・・・。それは、私の中にいるよっしーで、本当の姿とは違うのかもしれないけれども、それはいつだってそういうものだ。
彼女はガンで亡くなったのですが、彼女なら、あのさばさばとして笑顔を絶やさない、人の悪口を決して言わない、少なくとも言うのを聞いたことがない、どんな状況でもあんまり悪く考えずに楽観的な彼女なら、ガンだとわかって、そしてもしかしたら自分がこの世から亡くなってしまうのかと考えた時も、それでもきっと楽観的で、それならお葬式用にBGMを作ろうか、お別れの言葉をCDに残そうか、そういう演劇的なことをするのではないかと想像したんだ。意気揚々とあちらに旅立ったのではないかと思ったんだ。そして棺の中の顔は相変わらず色が白くてきれいな肌で、そしてあどけなく美しい顔なのではないかと想像し、その顔を思うことで私はようやく泣けてきた。
しかし現実は、といってもやはり現実などわからず、それはお通夜に行った方の想像も過分に含まれているのであろうけど、彼女はとても痛い思いをし、苦しみ、でも絶対に芝居に復帰するつもりだったそうだ。棺の中の顔に苦しみと無念を感じ取った方が随分といて、それは衝撃だったし、私の想像はつまり、私の楽観的な逃避だったのだと思った。つまり、よっしーは、そういうことも私に教えてくれたんだな。

そのあと、ずっと仕事をしながら「繋がり」について日常の中でいちいち拾い上げては、まるで大切なものを掌に載せて眺めるようにして、考えていた。繋がっていく様々なものに、意味はあるのだろうし、ないのだろうし。ある、と思ったほうが生き易い場合もあるし、本当は、ない、が正解かもしれないし。しかし、現実には何やらが繋がっていく。それを愛でるような、この1週間だった。