「ウェイヴ」

こないだのお休みにシネマテークで観てきたのが「ウェイブ」。アメリカで実際の起きた事件を題材にして書かれた「ザ・ウェーブ」という著作があり、それがドイツにて映画化されたものです。
ドイツでは第2次世界大戦の反省から、反ナチズム教育がなされているとか。で、ある高校での実習の授業。そこでは幾つかのテーマに沿って教師が実習授業を行うのだが、ベンガー教師が担当することになったテーマは「独裁」。そのテーマで1週間の実習授業が行われた。
ベンガーがファシズムについて問う。生徒は「今の世にファシズムは根付かないし、私たちがそれに巻き込まれることなどありえない」と答える。
「本当にそうだろうか?」
月曜日。ベンガーは、この一週間は自分を「ベンガー様」と呼ぶようにと言う。生徒たちに正しい姿勢で、話すときは挙手し、起立して話すことを求め、そしてスピーディで合理的な思考と発言を求めた。
火曜日。この実習クラスの集団名、制服を決めることにする。
水曜日。「ウェイヴ」と名付けられ、独特な敬礼の仕方も考案する。白のシャツにジーンズを制服とし、力の無いものと有るものをペアにして、無いものを有るものが助け、引き上げ、それによって全体が底上げされる集団であるようにする。

この実習は、月曜日から金曜日のたったの5日間。
その間に、集団がどんどんと変わっていくのだ。そしてファシズムの方向に走っていく。最終的にはベンガー様と呼ばれるベンガー教師にも、この授業に異を唱えた学生にも、制御不可能な集団に化けていく。
本当に、変わる? もしもこの実験が日本で行われたとしても。
この映画の中のドイツと違い、最初から制服であること、起立して発言だとか、そういうことが当たり前になっているこの日本でも?

でも、そうなんだなあ。あるんだろうなあ。
方法は違えども。
例えば洗脳系のセミナーなんて、たったの2泊ほどの合宿で洗脳してしまったりするじゃないか。

この映画の中のことと、洗脳系のセミナー、宗教、マルチビジネス、などなどを比較して考えてみる。
どれもこれも、衝いてくるのは誰しも持っている劣等感。
そして、人々を乗せ、熱狂させていくのは、金とか権力欲とかそういうものではなく、「善きもの、善き思想、善き行い」なのだ。
「ウェイヴ」という集団が目指したものは、きっと漠然とした善きものだったのだ。それを行う正義感、全能感に底上げされて彼らは突き進んでいく。
これまで蔑まれていた現実。それらが「ウェイヴ」という新しい集団に属し、仕事を与えられると、これまでの自分の価値観がひっくり返り、新しい価値が自分に与えられる。その転倒のエネルギーは強大で、それもまたファシズムを支えていくエネルギーになっていくんだね。

ほんと、これは「ファシズム」を巡る話なんだけども、そこにある洗脳されていくシステムってさ、例えば日々流れる通販番組やら、いろんな報道やら、情報やら、そういうものと決して無関係ではないじゃん?
それらを一つ一つ洗っていくと、これは私、洗脳されてないか?これはどうなの、あれはどうなの、とすべてが疑わしく、何をどう思ったらいいのかわからなくなる。
というところで、川上未映子さんがしていた、福岡伸一氏「生物と無生物の間」に関する話を思い出す。
人の体の表面もたくさんの分子で構成されていて、その分子は絶えず入れ替わっているわけだから、自分と外界を隔てる境目は一定ではないというような内容だった。
そんな感じで、絶えず送られてくる情報にさらされ、信じたり疑ったり洗脳されたりまた別のものに洗脳されたり解かれたり、そういう中で細かく泡立つ存在できっといいのだ、私たちは。