セデック・バレ」「コズモポリス」「ホーリー・モーターズ
先週は最初の2本を。そして今週は「ホーリー・モーターズ」を観てきた。観た映画3本が並列して、頭の中で何かを示唆してピカピカ明滅した。それで、3本目に観た「ホーリー・モーターズ」を観終わった瞬間、この映画が、そしてこの3本が織り成す物語が面白すぎて面白すぎて、私はもう泣きそうになった!
セデック・バレ」は台湾の先住民族セデック族の物語。狩猟民族である彼らが1895年に台湾が日本の植民地になったことで日本語を学ばされ、そして僅かな賃金と引き換えに労働力を搾取される。
セデック族は、いや世界は、弱肉強食の世界だ。
ところで、鹿や猪や熊と人間はどちらが強者というと、足の早い鹿や、猪や熊だ。だから人間は弓矢や槍など武器を生み出した。
セデック族と日本兵、一人一人はどちらが強いか。それは高い身体能力を備えたセデック族だった。だから日本は大量の人員を使い、そして大量の武器と薬剤を使用した。
すべての歴史は、何がいいとか悪いとかではなく、弱肉強食であり、弱者が強者に勝つために武器を生み出し、弱者と強者は反転し続けていくのだ。
コズモポリス」では、ここでの世界の強者は多分、もっと昔なら簡単に殺されてしまっていた弱者だろう。ここでの武器は金であり、そして情報だ。素足で山を走り回ってたセデック族と違い、彼らは全く時間をかけずして多くの世界を見ることが出来、交信することが出来る。なのに「コズモポリス」の主人公はリムジンという小さな箱にいて渋滞で動かない道を車でゆっくり通過し(かつての権力者はなるべく高い場所にいて人を見下ろすことを選んだ。しかしこの主人公は頑丈な鉄の箱の中で地を移動しながら、虚構のような街を眺め続けるのだ)、触れ合うことを拒否している妻を窓越しに何度も見つけるのだ。
険しい山を走り回り獲物を追うセデック族の体は強靭な筋肉を備えていた。「コズモポリス」の主人公にはもう生きるためにそんな強靭な筋肉など不要だ。それでも彼はお金を出してジムに通い、不要な筋肉をつけようとしている。金も筋肉も情報も食事もセックスも死も、本質的なものが見えにくい。それなら虚構なのか、しかし虚構だとしても生きているということは事実だ。
そして昨日の「ホーリー・モーターズ」。
語られてないから一体何が起こっているのかわからない。ドニ・ラヴァン演じる男が誰なのか。仮にその名をオスカーとして、オスカーは誰のために何をしているのか、それの正しい答えなど出せるものはいない。ただ、オスカーは1日、ずっと幾つかの虚構を演じ続けている。この映画の、圧巻のバンドネオンのシーンの楽しさとか、ドニ・ラヴァンの見事な演技、とりわけ「メルド」!虚構が重ねられていくたびに積み重なっていく疲労・・。それら様々なシーンが非常に魅力的でドクドキしてた。
そして私には、人が、すべての人が平和に生きるためにはどうしたらいいのか、この弱肉強食の世界を抜け出すにはどうしたらいいのかという答えの一つとして、世界を虚構にする、ということなのか?と観ている映画に問いかける。
死も愛情も虚構の中へ。最後に誰も乗っていないリムジンが喋っていた。「もう人は行為を望んでいない」と。
観た映画たちが、「どこに向かっていく?」「どう生きたらいい?」とずっと問いかけてくる・・。