ホームドラマ

先日の朝、妹2から電話があった。
「お姉ちゃん。ジジイが脳梗塞で倒れて入院したんだわー」
ジジイって? 父方のおじいさんは亡くなってるし、母方のおじいさんももっと前に亡くなってるし・・・、「あ、お父さんのこと?」
確か、何度もこんな遣り取りをしている。妹2はジジイとかババアと呼ぶようになってた。妹に子供が出来て以来、あの家での父母のポジションはおじいさんおばあさんに変わったのだ。しかも、私たちにとっての「おばあさん」はまだ存命のため、90を過ぎ、今は「ひいおばあさん」となったおばあさんの呼び名はそのままで、父母がジジイババアになったそうなのだ。私にはそれはとても馴染めないけど。

それで今日は父の見舞いに。
私は22歳で家出したままで、あれから23年間。実家には一度も泊まったことはないし、会った回数は10回もない。6回ぐらいかなあ。
私は、私の育ての親である母が、あの手負いの獣のような母が、ずっと怖くて、まあ多分今でも怖いので、どうしても実家に行けないのだ。
父に会うのは6年ぶりか。一度、妹と一緒にうちの店にご飯を食べに来てくれたのだ。
ところが私が父を思う時、そのイメージはまだ40代ぐらいの姿なんだけども、実際は75歳だ。
病室に行ったらちょうどお昼ご飯の最中で、ベッドに座ってごはんを食べていた。2度目だという脳梗塞は発見が早く、今は指に少し麻痺があるぐらいで、殆ど大事無かったそうだ。

会って、「うわ、年取ったんだー」と思った。
正直、びっくりした。
けれども、すぐに古い記憶は更新される。
黒かった髪は白髪交じりに。肌には老班。そういう部分が新しいデータに書き換えられると、なんのことはない、「あんまり変わってないな」と思えてくるから不思議だ。、
耳もよく聞こえてる。喋ってても記憶力はいいし、ボケてもいない。父はまだ現役でスナックの仕事をしているそうなのだ。頭のてっぺんは多少は薄くなってるけど、禿げないんだな、この人は。
目にも力がある。ふーん、そうなんだ。この人は結構目に力のある人なんだ、などと観察する。
「お前、老けたなあ」って言われて、「や、年取ったおとうさんに言われたかないよ」と思いつつ、そりゃ父の記憶の中の私も20代だったり、もしかしたら10代あたりで止まっているのかもしれない。

「お前の手」
と言うので、え、何?と聞くと、
「俺の手とそっくりだなあ」と言います。改めてまじまじと自分の手を眺め、それから父の手を見ると、確かに大きさも形もそっくりです。
私はたびたび書いてるように、目で見て比較したり判断したりする能力に欠けているため、一体自分が誰に似ているのかということも本当にわからないのです。でも、「手は父に似ている」という確定がひとつ出来て、それはなんとなく嬉しい。百鬼丸が手を獲得した、みたいな。自分を形成するパーツの由来? それとも帰結点?

ものすごく怖かった母が来た。
母は2日に一度の透析、年に半分の入院生活でよろよろしている。多分、もう暴力を振るうようなことはないのだろう。よれよれしながら笑いながら、父に甲斐甲斐しく尽くす母だった、相変わらず。怖いけれども何故か父に対してだけは甲斐甲斐しいのだった。しかし今でも、自虐の刃と他虐の刃の二刀を隠し持つような雰囲気が、私にはやっぱり怖い。怖いけれども、よれよれした母を見ると、一瞬でも「いい娘」仕様の力ない微笑を浮かべてしまうのです。

病室に妹2夫婦が来ました。
妹2は私と同時期に結婚してるのに、私は妹2が今どんな姓なのか、まだ知らないのです。子供が3人いるということも、こないだ初めて知ってびっくりしました。しばらく前に子供をつれてうちの店に来てくれたのです。子供の名前にいたってはまったく知らないので、いまさらながらに聞いて、忘れないように手帳に書きました。上の男の子など、もう11歳になると言うのに。
妹2のダンナは優しそうでしかもかっこよくて非常に私好みです。でも、このダンナの名前も知らないんだよなあ・・・。どうしよう、いまさら聞けないし。
私は亡くなってしまった妹1とは仲が良く、よく会ってたのですが、私が家を出て以来、妹2との付き合いがまったくなくなっていたのです。
妹2は、母のいろんな部分をもっとも踏襲していました。
ところが、コピーというものは完全ではないのです。
妹2は踏襲しつつも、かなり妹なりにアレンジを加えてました。
「私は絶対に子供に暴力は振るわない」と言ってたし、妹の子供たちはなんだか「昭和のコドモ」みたいな素朴さで、子供同士で力を合わせている感じがなんだか涙出そうで、とてもいい感じの子供たちでした。
私は、結婚はしたけど子供を産んでないので「家族の更新」をやめてしまったのですけど、妹とその子供たちを見てて、その姿にまだ「希望」を信じてもいいような未来を感じました。

しかし、なんだか家族はすごくて恐ろしくて苦手でうらやましい。
きっとどこだってそうなのでしょうけど、とんでもない事件がいっぱいあったよ、あの家には。
私はそこにいて、何一つ未来を感じることが出来なかった、から、早々にリタイヤ。早々に逃げました。
それでもまだ、あの家に残っている人間は、いくつかの裏切りも憎しみも不信もあったはずなのに、家族をやっている。外から見ると意外と強い絆で家族をやっている。
「たまに入院するのもいいな。みんなが集まって、結束できて」と、ホームドラマのようなことを父が言う。
「また来るからね。元気でね」と私もホームドラマのようなことを言う。
どこか怖いような。そんでもなんかこんな現実が切なくなってくる。

私が子供のころ、あの家には9人とか10人とかで住んでいた。結構な大家族だった。あの中にいた人間で「家族」からリタイヤした者は3人。それでもまた増えて、今は8人で住んでいる。私は多分、この先もそこには入らないのだろうけど。