オカルトな休日

ゴマージュとマッサージで極楽のあと、シネマスコーレで映画「オカルト」を観に行きました。
最初は、トラン・アン・ユン監督の「アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン」にしようかな、と。
またはシネマテークで「不思議惑星キン・ザ・ザ」か。現在テークで「ロシアの本棚」というタイトルで括っているロシア映画特集、なにか1本は観たいと思ってたのです。
お友達のSさんに「映画に行かない?」と声をかけたところ、「『オカルト』を観よう、オ・カ・ル・ト!」と言われ、しええええっ、私、絶対に怖い映画と痛い映画は無理ッ!と思ったのですが・・・、自分が選ばないものに乗ってみるのって、意外と楽しいのよね。相手にもよるのですけど、その点では私はSさんという人のことを大変信用しているのです。

で、白石晃士監督「オカルト」へ。

オカルト [DVD]

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えとね、これ、大変オススメです! 心からオススメしますよ、マジで!
内容は、通り魔殺人事件を取材する白石監督、という設定の、フェイク・ドキュメンタリー。だから、登場する人たちも、設定は殺される人、殺した人、殺された人の遺族、傷を受けた人、取材をする白石監督、そのプロデューサー、インタビュアー、などなど、つまり本物のドキュメンタリーならば、それは「リアルな本人」、けど、フェイクなので、「リアルな本人を演じている役者」なのですけど、私にとってはまったく知らない役者さんたちで、本当に役者かどうかもわからなくて、けどその演技には素人っぽさは殆どなく、まるでそれは「リアルな本人」たちに見えまして、それが怖い。
偶然に撮影されたビデオ、そこに映っている、これから人を殺す男。その男の顔がアップになる。見知らぬ男の顔がボヤけた映像でアップになる。それが怖い。
殺された女の子のお母さんの顔が、疲れた目と笑っている顔が、怖い。
その後、物語の中心となっていく男の顔や雰囲気が、それはなんだかよく見たことのある佇まいで、それが怖い。
映画の音楽は中原昌也で、驚かし系ではなく、じわじわと怖い。
なんだかなあ、とにかくこの映画全体が、音や映像で驚かせたり残酷だったりするタイプのものではなく、でもなんだか妙に怖くてそして面白いのです。

映画の前に、「怖い」ってなんだろう、と、古くなって改築している最中の大きな病院のガラスのはまってない窓を眺めながら考えてました。少し離れたところにある病院の、その窓の向こうはこちらから見ると真っ暗で、どこかに向かって開いている空洞のようです。その先に何かが潜んでいるようで、怖い、からこそ目を逸らすことが出来ずに、それを見つめながら私たちは歩き、「怖い」について話してました。
繋げなければ、何も怖くはない。繋いでしまうから怖くなる。フィクションである目の前の映像と、現実の私の生活。
きっと本能として残っている闇とその中に潜む敵を恐れる遺伝子と、今の私。
そう、この日はなにやらいっぱい繋がってて。
私たちは映画の前にごはんを食べに行ったんだけど、初めて行ったその店のお兄さんとSさんのTシャツは同じもので少しびっくりしました。その店の庭にある貯水タンクを見ながら、「貯水タンクに毒を入れるという大量無差別殺人について、誰しもそれを夢みないか」という話をしていたら、映画「オカルト」は神様(?)から「無差別に大量の人を殺戮しなさい!」というお告げを受ける話だったし。映画の前に中村区の大鳥居が見たくなって見に行ったら、映画の中の重要なシーンの中に赤い鳥居がポツンと出てくるし。そだそだ、ごはんのあとで私は足首を蚊にさされて、「今年はじめての虫刺され」と言ってたのですが、映画では白石監督は足首を九匹の蛭に吸い付かれて血を流してたし、というのもカウントしておこう。
映画のあとで「わたしたちはなんか呼ばれてたねー」とSさんが言い、そうかもしれん、そして映画の中の男たちも、何かに呼ばれてしまった人たちで。
繋げる。繋げる。「怖い」に繋がってく。
「怖い」は一体、なんなんだ、と思いながら、今日、店の仕事を追え、間接照明のスイッチをひとつ、ひとつ、消して、店の中はひとつ、ひとつと闇に近付いてって、そしたらやっぱり、昨日の映画と仕事が終わった今の私が繋がってしまって、すっごく怖い気持ちになっていったのでした。