「害虫」塩田明彦監督作品

害虫 スペシャル・エディション [DVD]

害虫 スペシャル・エディション [DVD]

今日の夕方は、「害虫」のDVDを観ました。
2002年公開の塩田明彦監督作品。
主演が宮崎あおい。他、蒼井優、りょう、田辺誠一「たま」石川浩司

13歳の「サチ子」(宮崎あおい)は、小学生の時に教師である「緒方先生」(田辺誠一)と「ナニカ」があったらしい。緒方は教師を辞めて遠くへ行き、サチ子は緒方にお手紙を書いている。
田辺誠一」ならいいじゃん。や、でも本当はちっとも良くはない。多分。
私が小学3年生の頃の夏休み、クラスの女の子2人と一緒に「先生」が一人で住む家に遊びに行った。田舎で、どっかの公舎を借りてたのか学校みたいな所で、ものすごく広くて変な場所だった。暑くて。
で、そこで先生は、私たち女子3人の前で、裸になったんだよ。
そりゃあれは私たちが悪い。先生んちに押しかけた私たち女子が。そんでそこで突然、頑なに意地悪な気分になってしまった私たちが。そんな私たちの前で、先生がまっ裸になって、ただそんだけだけども、それからどうしたのか覚えていない。ただ、私はなんだかひどく気分が悪くて、親にも言えない、先生にも言えない、その場にいた友達2人ともこのことについてはもう話せない、そういう秘密を持ったことを苦々しく思ったんだ。だってそれはちっとも楽しい秘密でもなく、事実を共有してる人たちが毎日目の前にいるのに、それは封印されて無かったことになって、誰ともそれを共有できない。ずっとずっとそれは、いつまでも苦い記憶として残った。
サチ子が緒方と何があったのかわかんないけど、それはきっと、「純愛」とかなんとか、そんな感じのものではなく、やっぱり何か苦いもの。小学3年生の私にも、小学生の、または13歳の「サチ子」にとっても、日常を突如破って露出される「性」は、禍々しくて苦いもの。
それでもサチ子は自分を救ってくれるのは「大人」しかないと思い、でもやっぱりそこに絶望を見た上での、希望の残滓、みたいなのが、サチ子と緒方の手紙でのやりとりではないか。

そんで、この映画を観ながら、私は『覆水盆に返らず』という言葉が怖かった頃のことを思い出した。
その言葉を知らない幼稚園の頃からそういうような状態が怖くて、中学生の頃、私が怖がっているのはこういうことだと気付き、その思いは20代後半まで続いてたのかな。
サチ子は学校に行かないことをお母さんから責められてない。サチ子は家の中の電球が切れてるのを見つけて、ちゃんと取り替え、切れた電球を紙袋の中に入れて、上から電球をそっと割る。その後、お母さんは帰ってきて、水道の水をグラスに入れてごくごくと飲む。
そこに唐突に挿入される、ほんの1秒の私の妄想。
そのグラスの中に、さっき割った電球のガラスの破片をみっちりと入れておく。それを飲むおかあさん。口の中に広がる鈍い痛みと鉄の味。
「どうしてこんなことをするの?!」と怒って問い詰めるお母さん。答えるサチ子は、いつしか私になっていて、一生懸命答えを探す。探すけど、ない。
何故か、入れたかった。
こうなることがわかっていた筈なのに、何かがわかんなくて、ただ入れてみたかった。
「こんなことをして面白いのか。私をそんなに傷つけたいのか」と激しく詰るお母さんに、
そうではない、そうではないのだけども何故かやってしまった、理由は、ない。あるのかもしれないけど、ない。
そういうことを伝えたいのだけども、それは決して伝わらなくて、そしてただただ私は、目の前で私により起こってしまった事実、それはひっくり返してしまった盆と落ちてもう掬えない水、それをただただ凝視するしかなかった。カラだ、もうないのだ、という恐怖感。
ずっとずっと、いつもそんな風に、また手にしたお盆の中の水をこぼしてしまったと、取り返しのつかないことをしてしまったのだと、そういう意識にさいなまれていたことを、映画の中のほんの一瞬に思い出す。
しかし、映画の中で、サチ子はグラスの中に電球の破片を入れたりはしないし、お母さんはサチ子を問い詰めることはしない。
・・・・まだ。
ただ、映画が始まって20分少々に唐突に挿入された私の妄想は、1時間を過ぎた辺りで本当にそうなっていくんだけども。

ちなみに、「覆水盆に返らず」という言葉が怖くなくなってきた時が、私の「コドモ時代」のひとつの終焉だったと思う。
あの頃は、お盆は一つだけ、水もこれ限りだと思っていた。
今は、お盆をどんなにひっくり返しても、欠けさせても、また拾えばいいし、傷が出来たらそこを補修すればいいし、水も何度でも入れたらいい、おんなじお盆も水もないけれども、多分何度でもやり直すことは出来る、生きてる限りは、と思うのだ。
もっとも、あのたった一つしかお盆も水もないのかもしれないと、カラになってしまったものを凝視していたあの頃にしか見えないものは確かにあった。
今は、きっと何かが見えなくなって、その分、今になってようやく見えるものがあるのではないかと思うのだ。

サチ子は、間違いなく取り返しの付かないことをしてしまった。
ただ、すべてのことは取り返しが付かなく、それでも進んでいくしかないのが、生きてるってことか。見知らぬ車に乗せられて、そのまま行ってしまったサチ子は、ここからどこへ行くんだろうか。