学祭のシーズン

11月になると、未だに私は「あ、学祭だ」と思うのです。
10月31日はたとえあったかくても、11月に入った途端にきっと強くて冷たい風が吹く。そう、あの日のように。あの学祭のあの日のように、と、私は何年も前の11月のことを思い出すのだ。
今年も。

愛大ジャズ研にいた頃の学祭。そしてOBになってからも数度行った学祭。
それから、24歳から37歳までの13年間、仕事をしていた某大学の学祭。そこでは学祭委員の目を盗んで、モグリで出店していたんだ。
どちらの学祭も、寒くて、強い風が吹いていて、オールナイトで、おいしい食べ物があって、お酒があって、音楽があって、酔っ払ってて、片思いで、片思いなんだけどもその日ばかりは好きな男の子といつもよりはもう少し近くで過ごた時間があって、どこかに泣いている女の子がいて、どこかでは火が焚かれていて、どこかで酔いつぶれてる男の子がいて。
そういう記憶がしっかりしっかり根を張ってて、いつまで経っても11月になると、「あ、学祭だ」とそわそわするのです。

ところで先日、現在の学生の子からお知らせがあったのですが、愛大、愛知大学豊橋校舎では、お酒、タバコが禁止になったそうです。
確かに、未成年がいる、しかも学び舎という場所で、そこでは飲酒喫煙の違法性が問われないというのは常識としてはおかしい。それは確かにそう思う。いろいろと思うところはありますが、タバコ禁止に関しては個人的には賛成だけど。(自分はタバコ吸いながら酔いながらあの中で過ごしたいろんな記憶が大切に残っているくせにね)。
ただ、ハレとしての祭りの意義について思う。
祭りで子供がお酒を飲むこと、ハメをはずすこと、それらは本来はそのハレの日に許された特別なことで、しかもそれは成長に関わることではないかしら。
「学祭」ではなく、田舎のほうの祭りで昔見た光景だけど、中高生ぐらいの男の子たちが神輿を担がされてて、しかもみんなべろべろに酔ってるの。大人が飲ませてるんだよね。多分、今はそういうことは禁止されていそうだけど。で、真っ赤な顔で神輿を担いで、そういう男の子を女の子がうっとり眺めたりして、ああ祭りってなんかそういうもんだ、と思った覚えがある。成長のための通過儀礼なのだと。

大学生なんてどうせお酒なんて飲んでるのに、あえて学祭で禁止ってのは、社会的立場からの措置なんでしょうね。問題が起こったときのための。
けど、私は、そういう時に飲ませないで、大目に見てやらなくて、受け皿も用意してあげない社会って、なんか可哀想、と思うんだけどな。