大友良英氏による大垣フライングオーケストラ

1995年のテレビドラマで三谷幸喜脚本「王様のレストラン」は大好きでした。その中にこんなエピソードがありました。ちょっとうろ覚えだけど。
あるお客様たちのフルコースのオーダーに厨房内は大パニックなのだけどもなんとか出し終わり、松本幸四郎演じる「千石さん」が言うのだ。
「あのお客様たちは、裏で何が起こっていたのかは知らずに、あんなに楽しそうにお食事をしている」みたいなセリフを。
集団で作っていき、それを「本番の日」という限られた時間の中で表現するもの、例えば芝居とかライブとか、そういうものの現場にいた人は、あの千石さんのセリフに深く深く頷いたことだろう。

11月21日(土)、大垣で行われた、情報科学芸術大学院、岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー(総称IAMAS)の学生さんと職員の方を主体とした「Asobow!Project」が大友良英さんを招聘して企画された「大垣フライングオーケストラ」。
ほんとはね、私とTAKEDAも店を休んでこれに参加するつもりでいたのです。しかし、お昼も夜もご予約が入り参加は断念。
ところが、前日の午後、大友さんから電話がかかってきたのです。
参加予定だった地元の吹奏楽部の高校生がインフルエンザのため参加できないことになったのです。それでとにかく、管楽器の出来る人に急遽参加を頼めないかという電話でした。
店にはパソコンがないため、連絡できる人が限られてましたが、それでも私たちが知る限りの音楽関係者、友人、愛知大学ジャズ研の後輩の人たちに電話をかけました。この日は本当にいろんな人たちが電話で、ネットで、この情報を持って駆け回り、結果、この地方で活躍する個性豊かなプレイヤーが集まり、イベントも成功したそうです。

大垣の、どこかのビルの上からは音が降り注ぎました。
そのビルの下を通り、その音を聴く人の殆どは、その前日、どれだけ多くの人たちが青ざめたり慌てたり、そして連絡を取り合ったり祈ったり、そういう騒動があったかなんてことは知らないのでしょう。ただ、上から降る音を見上げて、聴いて、楽しんで。そして、それでいいのでしょう。しかし、想像ですが、あの前日の大変さは、予定とは違った何か面白い結果を引き出したのではないかと思います。
私は残念ながらこの日はその場所に行くことは出来ず、その音を聴くことは出来ませんでした。
でも、この日は店で仕事をしながら、いらっしゃったお客さんに接しながら、行けなかったことは残念だけども、今日、私たちは店を開けて良かった、売り上げというお金の問題だけでなく、私たちはここでやるべきことをして、そしてそれはとても必要なことだったんだ、とそう思えるような一日だったと感じました。私たちは、私たちの場所で、忙しくてそしてとてもいい一日でした。
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芝居をやってた頃、忘れられない当日の騒動がありました。
私の最後の作、及び出演の芝居で、その作品ではオープニングとエンディングにだけ、ヒロインを抱きかかえた幻の男が登場するのです。ところが、その男は、オープニングが終わって舞台から消えてあと、幕の後ろでガラスで大きな怪我を負ってしまったのです。彼とは出番の違う殆どの役者は、そのことに全く気付きませんでした。その舞台裏で、彼は車に運ばれ医者に行き、すぐさま傷口を縫合し、そしてエンディングに戻るつもりだったそうですが間に合わず、代わりに劇団の代表であり演出者が白塗りに口髭の唐十郎ばりのメイクを急いで自分に施し、エンディングに出演したのでした。
観客はもちろん、私たちはその騒動に全く気付いていませんでした。芝居は粛々と進められています。開いた舞台の幕の裏で裏方の人たちだけが知っていて、それはもう大変だったそうです。
あれも、忘れられない一日でした。