大竹さんの浅野祥雲仕事

12/8の朝日新聞夕刊に大竹敏之さんの記事が掲載されました。五色園にある浅野祥雲氏が作った仏像再生プロジェクトに関する記事です。
五色園浅野祥雲氏に関しては、大竹さんの書いているAll Aboutの記事を参照してください。
http://allabout.co.jp/travel/travelnagoya/closeup/CU20081124A/index5.htm

で、この五色園にある浅野氏のコンクリ塑像作品を、ボランティアを募って修復、塗りなおしを、大竹さんの発案により10月に行ったそうです。
で、12/8掲載の朝日新聞の記事では、それに関する都築響一さんの質問を引用されてました。
それは、浅野作品を芸術作品として認めるとしたら、素人の手による修復はどうなのか。または宗教作品として捉えた場合、仏像などは僧によって魂を一旦抜く、というようなことをするのだけど、その点についてどう考えるか、というような内容でした。

確かにね、私も思ったんです。えー? 普通の素人による塗りなおしって、それは作品が変質してしまうんじゃないか・・・?とか。いいの、それで?と。きっと、そう思った方も少なくは無かったのではないでしょうか?

その考えに対する答えを、大竹さんは書かれてました。ちょっとね、それは目が覚める思いがして、私はそれからいろいろと考えてしまいました。

つまり、「素人がやって大丈夫なのー?」と、私のような無関係な人間は言うだけ言うんですよ。じゃあ、どうしたらいいと思うのか。そりゃ、修復の技術の経験を積んだプロに・・・と、思うわけです。そしてそこまでしか考えないで、ただ外野からぼそぼそと口を出しているだけなのです。
でも、それならそのお金はどこが、誰が出すのか。公共事業にするのか。それだったら税金なのか。それとも所有者の私費か。決して安い値段ではないでしょう。で、もしもどこからもお金が出ないとしたら、もうそれはただ風化して朽ちていくしかないのです。だったら、プロの指導を仰ぎつつ、素人の人たちがボランティアで一生懸命修復していくことの、一体どこが間違っているのか。これは極めて現実的な選択だったのかもしれないし、そして有意義なプロジェクトだと改めて感じました。
多くの場合そうなんですけど、やりもしない人間が、考えも半端なままで勝手なことを言うのです。
でも、やらなくちゃ、本当にわかんないんですよね。やろう、と思って進もうとするときに、やっと見えてくる何か、考えるべき何かがわかってくるのかもしれません。そういうあったりまえなことを、大竹さんの記事で再認識させてもらいました。

大竹さんが朝日新聞に連載してた「浅野祥雲研究」も面白かったのですが、今回のは本当にいい記事だと思いました。
後日、ネットのアサヒ・コムにも転載されるそうです。「浅野祥雲」でサイト内検索したら出てくるそうですよ。興味のある方は後日、見てください。
アサヒ・コム
http://www.asahi.com/