今、朝日新聞で250円弁当をめぐる人々についてのルポが連載されている。
中村区の名駅付近。駐車場に車を入れ、そそくさと250円弁当を食べて、すぐにまた車を流すタクシー運転手。その人は1年前にリストラされ、タクシー運転手に。不景気のためお客が少ないから、更に長時間の労働。昼ごはんはおにぎり1個。250円弁当はたまの贅沢なのだとか。
名古屋市の子供が生まれたばかりの20代夫婦。1週間の家族の食費は3000円。夫の昼ごはんは250円弁当。冷え切った弁当。しかしたまにほんのりあたたかい時もあり、それにあたるととてもラッキーだとか。

これは本当に日本の話なのか?!
や、うん、そうだよ、もうしばらく前から日本はずっとそうなのだろう。そして私は昔から結構ビンボーなんだけど、世の中はそうではなかった。バブルの頃は。その記憶がふと甦り、その目線からそのまま直線を引くように今、この記事を読むと、改めてぞっとするのだ。

で、ふと「幸せ」なんてことを考える。
もっとも「幸せ」を相対的に考えると必ず見間違う。この人と比べたら自分はどうか、とか、そういう誰かと比べて自分を計る、という話ではなくて。わかりやすい数字で他人と自分を比較するという話じゃなくて。
自分にとっては何が、どういうことが幸せか、ということに思いをめぐらせたんだ。先の運転手の人。若い夫婦。記事で切り取られたのは、お昼ごはんが250円弁当である、ということだ。でも、その人たちは別のところにきっと幸せのポイントがあるのだろう、と思う。
私は、毎食あったかいごはんを食べてて、その食事には野菜もあったかいお汁もあって、そのことが大変に幸せだ。
お金は無い。とは言いつつも、映画を観てライブに行けて、時々は外にごはんを食べに行けて、時折旅行も出来て、つまり好きなことにわずかずつでもお金を使っていけて、今の私はしみじみと幸せだと思う。


昨日のイヴは、TOKUZOシカラムータのライブに行きたかったよ!
絶対にいいに違いない! 楽しいに違いない! ステキなイヴになるに違いない!
お昼にチューバの関島さんが来てくださって、それで余計にじたばたじたばた。い、行きた〜〜い!!
でも、お店があるから行けないんだー・・・。
あと、東京では代官山でERAのライブ。ゲストが佐藤芳明、佐藤研二、岡部洋一。これもすごく気になっていた。行けるものなら是非にでも駆けつけたかった。行って、聴きたかった。でも、それも叶わない。
ちょっと寂しい気持ちで店にいたら、そこにお客さんがやってきて、開けてて良かった、それは売り上げとかそういうことだけではなくて(それはもちろん商売なのだから大切なことだけども)、来てくれた誰かのためにちゃんとうちが存在してる、そういうことがこれまたしみじみと嬉しかったのです。
いろんな場所で、いろんな夜で、それぞれがそれぞれのところで、幸せであるように、と思ったクリスマスでした。