2009年12月26日

いい加減、自分の誕生日に誕生日だとネットに書くのもやめにしたいなんてちょっとは思うんだけども、へへ、誕生日好きだからなあ。
でも今朝、えっと私は幾つになるんだっけとよくよく考えたらびっくりしちゃうような年で、ある程度前までは年を取るということは「大人になる」という少し上向きのニュアンスがあったのだけども、同じように年を取り前に進んでいるはずなのに、いつしかちっとも上向きな感じがあるようでないなあ。過去のどっかにその分岐点があったんだなあ。
あったりまえのことだけども、本当に戻らないんだね、と呟いてみる。ちょっと胃がきやっとした。

ちょっと怖くなるときもあるんだけども、何か自由になっていくような気もする。
そうそう、初めて「来年の抱負」について考えてみたんだ。
子供の頃からずっと、「今」はちょうどよくて、過ぎた過去も過ぎてしまえばそれでよくて、それなのに一歩先の未来が怖くてたまらない、と思ってた。だから先のことを計画的に考えることが苦手というかしたことがほぼなかった。いつもノー・フューチャー。お金だって貯めたことがない。保険もかけたことがない。
なのに今年、初めてのことだけど、来年のことと5年後ぐらいのことを考えてみた。5年後までに、これとこれをしよう、と。
以前と今の時間の感覚が変わってきたってこともあるのだけども、うまく言えないんだけど、これって私にとってはちょっとした変化なの。

最近、NOVO TONOのアルバム「パノラマ・パラダイス」をよく聴いている。その中の「夢の半周」、これ聴くと必ず泣けてしまうんだよな。

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なにかいいこと、ないだろうか
今日こそ明日こそあさってこそ
きっと何か起こると思って

毎日顔を洗い顔をきれいにして
毎日眠り 眠りながら起きて
夢のぐるりの半分まで来た

急がず焦らず苛立たず
求めず願わず望まず
いつか何か起こると信じて
果てしないだらしなく疲れきった物語の
始まりも終わりもない無限の物語の
いつも今でもいつまでも
途中に、いる

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決して動かないまま、本気でだらしなくただ待ってるだけの青いコドモがこう歌ってるんじゃなく、やりたいことのためには不眠不休で動き、もういい年をした人が、まだこんな風に「夢のぐるりの半分」といい、「途中」といい、静かに歩を進めている(実際は静かでもないんだけど)と歌われると、なんかしらん泣けてきて、そうだね私もまだ半分だね、まだまだ途中だねと、そしてまた明日を始めようと思うんだ。