休日に、家の近所の、桜並木が連なる川縁を散歩した。犬を連れた人と幾度もすれ違い、赤く染まる空を見てたら、どこかから美味しい匂いが漂ってきた。
胸がきゅっとなる。
私は仕事が好きなんだけど、こういうふうに過ごしていると、毎日こういう夕方を過ごす生活に激しい懐かしさを、憧憬を感じる。
もう、そういう日々を送ることは出来ないのかなあ、なんて言いながら笑ってみる。

夕方の記憶って、重ねられていくね。ずっと子供の頃の、小学校の、中学の部活の、いつかの帰り道の、旅先での、茜空とおいしい匂いとやわらかな風と。悲しかったりつらかった夕方もあるはずなのに、真っ先に甦ってくる記憶は、なにか切なかったり甘かったりする、なんでもないけどかげがえのない、ある時間。

ここ数年は、よく、「生きていくご褒美」を思うのですが、あんなにつらいと思ってた記憶は擦れていって、重ねられていく記憶はなんだか胸をきゅうっとさせるものばかり。これもまた生きていくご褒美なのだなあと思うんだ。

そんで、今朝、気付いたんだけど、「こんな夕方を毎日送ることは出来ないんだなあ」なんて思うんだけど、別に、たまの休日にこうやって散歩すれば、いつでも胸を切なくさせる夕方に会えるんだから、そしてそれが時々であればあるほど、いつだって胸はきゅっとするんだから、これでいいじゃないの。