「倫敦から来た男」

私の場合、仕事などで忙しい、という時って、どうなってるかってことをふと考えてみた。
TAKEDAが料理を作るタイミング、私のドリンク作るタイミング、お客さんのお食事の進行状況・お水の有無、その他細かなお客さんの状況やら表情、お会計のタイミング、外の様子など、ある程度の緊張感を持続させながら全部を並行して考えていけることが、私にとって必要な状態。
そういうふうな思考の仕方とまるで逆だったのが、この映画だ、と、これを観た後思いました。

シネマテークで観た、タル・ベーラ監督の「倫敦から来た男」。

だって最初のシーンから、港に着岸している船の、水際からその全体までをずずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと撮ってて、
本当に本当にずずずーーーーーーーーーーーーーーーーっとカメラがおんなじ速さで下から上へと動いている間、ついついまだ私の昨日今日に侵された目はその間にあちこちへと飛び回ることを続けていた。
そうだ、この日も、今日は一日中映画を観るってのはどうだ?と考えてて、いや朝からはちょっと無理、洗濯がいっぱいあるし、でもそれなら美容院に行って髪を切ろう、ちくさ正文館にも行こう、パルルの少女漫画喫茶に間に合うかな行けないかな、そういうことを考え、割と朝から時間に追われつつ、お風呂に入る、髪を洗う、化粧をして、何度も時計を睨みながら家を出た。
そんな私の目は、船の下部に書かれた???という数字を見て、画面の黒と白のコントラストを見てそして船の全体像、ようやく出てきたセリフ、2人の男、船から降りる人を見ているうちに、この映画の時間と私の頭の中のスピードが噛み合わず、一瞬私はふっと眠ってしまい、その間に勝手に私が作ったセリフや映像が挟み込まれて、映画が大変なことになってしまった。

やっとこの映画の時間に私の頭がチューニングされたのが、始まってもう30分を越えたあたり。わあ、なんかそういうチューニングする力が弱ってるよ、私。で、一旦その時間に自分の頭が合わさると、もうなんてゆーか不思議な面白さの中にどっぷりと。ただ、最初の最初に話のいろんな部分が欠如した上に妄想で補完されたので、ストーリー的な部分が謎のまま。
例えば、もしもこれが「踊る大捜査線」だったらテンポのいい音楽と共に10秒以下のシーン、みたいなのが、ゆっくりゆっくりと、2分は費やして撮られてたり。このカメラが目の動きだったとしたら、人はこんなにゆっくりと目を動かさない。思考のスピードならば、こんなにゆっくりと頭を巡らさない。一体これは誰のどういう状況でのスピードなんだ、と思うぐらい、沈みこむような深いスピードで動いていく。

いろんな映画が3Dとなってって、映画ってそういう体感型に変わっていくのかなって、そんなことを思ったりしたんだけど、この映画は3Dではないけど、映画と自分がうまくチューニング出来れば、もうあの場所や時間の中に入ってしまえるような、そういう魔力を持っているような気がした。あの、船と列車が並んでいる重い空気の夜の中に。誰が喋っているのかわからないカフェの中に。細い路地の空を一層細くする、高い石造りの建物の小道に。