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09:29 店で仕事をしてる夢を見たけど、店は広いししかも屋根も壁もない、机はデカい、奥のテーブルに置かれてるポットは大きなアルミのやかんだし。どうして夢の中のものはでかかったり多かったりするんだろう。小さかったり少なかったりする人っていますか?

 09:31 今日はごはんのあとでお葬式(クレメーション)のパレードについていくのだ。正装して。
  23:38 今日はバリのお葬式に行ってきました。前日からホテルの宿泊客にも告知が入るのです。非常に大きなお葬式でパレードがホテル前を11時に通る、そのままでも見学出来るし、パレードに参加したいなら最低サルン(腰に巻く布)着用なら出来る、という告知が入るのです。
 23:41 それで私達は正装して参加。ホテルで働いてる女性も小さな子供2人連れで行くので、連れてってもらう。小柄できれいな女性だが、この人がなかなかすごく、最初から最後までとてもいい位置にすかさず行くので、安心してついて行った。

 23:48 このお葬式はカーストが高い人らしい。多分300人ぐらいの人が参列してたんじゃないか?まず女性のクバヤ(バリの女性の上に着る服)がみんな白で驚く。だって私の紫だし。確かかつて見た。お葬式でもいろんな色のクバヤだったのにと焦る。クバヤの流行は本当に行くごとに変わる。それともこのお葬式のために揃えたのか?
  23:57 男の人のTシャツもこの日のために用意されたものだ。背中に2010 juni(6月)とプリントされている。とにかくものすごい前準備とお金がかかってることは間違いない。一緒に練り歩くガムランなどの楽団も50人程。踊り手が10人。あとはお供え物を持った女性が100人以上。棺などの日本の山車みたいなものを担ぐ男性も100人近くか。そして家から海岸までをパレードして歩く。そしてまた私達のようについて歩く人々がいて・・・というのがバリお葬式。海岸について長い儀式があるんだけど、最後は馬の形をした棺ごと焼くのです。ガムランと踊りでそれを見守ります。

馬。後に遺体と共に火葬されます。男の人たちのTシャツの後ろには「サヌール シンドゥ通り」という土地の名前、そして(多分)人の名前、そして本日、2010年6月29日と印刷された揃いのものです。

子供が担ぐもの、そして後ろの黄色の布で覆われているのが遺体の入った棺です。

パレードです。子供が担いでいます。

棺も担いで運ばれていきます。

お供え物を持つ女性たち。

ガムラン部隊。歩きながらずっと演奏をしているのです。

踊りの人たち。


家から浜辺までの約1kmを歩く、とても長いパレードです。

馬が通ると、その付近の町の人がホースで馬に向かって水をかけます。

担がれた棺はとても高いので、浜辺まで行く途中の道にある電線は棒であげて進んでいきます。しかし途中で何箇所か、電線を切ってしまいました。その周囲はきっと突然の停電です。しかしバリ人にとってはそんなことよりも何より大切なのはお葬式のパレードなのでしょう。

このおじいさんは僧なのかな。大変に高齢な方なのに、炎天下の長い時間、担がれた棺に乗ってらっしゃいました。



浜辺に着きました。馬は黄色の柱で囲われた中に入れられます。

黄色い棺に階段がかけられ、親族の手でそこから遺体を運び出します。

そして、装飾を外された馬の背中の部分は蓋がついていたようで、そこを開け、遺体を馬の体の中に安置します。

お供え物のバビグリンがありました。そして牛の首。子供達は牛の首に触ったりしてました。

少し離れたところに小屋がけしてあり、そこにガムランチームがスタンバイしてました。そして火葬の前に演奏を始めます。

馬の下には、焼け崩れないように水気を含んだ青い椰子の幹で土台が組まれました。組み終わっていよいよ火葬です。土台を残して遺体を安置した馬だけがあっという間に燃えていきます。
そしてこのお葬式が終了です。お葬式のある家の前に集合してから3時間が経ってました。

バリ・ヒンズーの人にとっては亡くなると言うことは転生することで、お葬式は決して悲しいものではなく、晴れやかに見守るもののようです。そして私たちのような観光客にも宗教的なマナーさえ守れば出席することは寧ろ歓迎されるような感を受けます(何故か親族の方からパレード前のお葬式のおうちの庭に案内されるし)。
で、腰に巻くサルンは男女共に必須。けれども、水着や肌を露出した格好の白人観光客の多いこと!しかも踊りは火葬される遺体に向けて踊られていると思うのだけども、その間に入ってバシバシ撮影する白人カメラじじいは、どうかと思うよ!
や、正装している私にもいきなり白人女性が近づいてきてカメラを向けたんで怒ったよ。


この日は夕方から、デンパサールのアートフェスティバルに行った。
これで2回目。