きしこさんのこと。朗読のこと。

1991年から名古屋で「暮らすメイト」というミニコミを作り続けていた「きしこさん」が、先日お亡くなりになりました。55歳。くも膜下出血による突然の死だったそうです。

きしこさんは私よりも8歳か9歳、上なんだなあ。
とてもおしゃれで、そして見た目はとても可愛い方でした。
40代半ばを越えた辺りでなお可愛く見える方の共通点は、声が可愛いことにあるかも。発声にまつわる体の器官のあれこれと、若く見えるということに、何かしら因果関係があるのかもしれません。
そんなきしこさんは本好きで、本業は書くことに関することや、講座の企画などもやってらっしゃるようでした。そして20年近く、女性中心でミニコミを発行してらっしゃいました。

きしこさんと知り合ったのは6年前ぐらいの夏でした。
その夏、どこかの場所を借り切って、「暮らすメイト」のお仲間と共に朗読会をしたという話を聞きました。みなさんで好きなテキストを持ち寄って、順番に読んでいくだけの会。でもそれがとても楽しいそうなのです。
「それ、いいですねえー」と私は心から羨ましく思いながらそう言いました。
私は、朗読がとても好きだったことを思い出したのです。
小学生の頃は新学期になるとすぐに、配布された教科書を家で音読しました。授業で当てられて読むのも大好きです。国語の教科書が一番好きですが、「道徳」だって「社会」だって読めればなんでも楽しかった。だから放送部に入ったし、狭い放送室から朝礼や給食の時間や運動会やいろんなシーンでアナウンスすることが快感でした。生徒会の応援演説も好きでした。どういうわけか、とにかく声を出して読むということが純粋に好きなのです。

そんなことなどを確か初対面だったきしこさんに話したら、「じゃあ来年の朗読会はマタハリにしましょう」と言ってくださいました。
あれから、毎年、夏の終わりに、「暮らすメイト」の方々による朗読会をうちの店で開くことになったのです。

きしこさんの朗読は、「女性」「性」「私性」、そういったものに関する詩が多かったようなイメージがあります。それを可愛い声で、静かな口調で読むのです。あ、でも確か去年だったかおととしだったかの三浦しをんのエッセイはそれまできしこさんが持ってきたテキストとはちょっと違ってて面白かったなー。
その朗読会では、各自持ち寄ったテキストを一人が読んでは、その後みんなでお喋りをし、そしてまた次の人が、というように進められていきました。朗読の技術云々の話は一切なく、ただ、「それ、誰の作品?」「私も読んだ、それいいよね」「これの時代背景にはこんなことがあって・・・」など、持ち寄ったテキストについてみんなで好きなように喋るだけです。でも、それがとても楽しいのでした。

私が最初の年に持って行ったのは2003年3月31日に書いた自分の日記です。その翌日の4月1日は、レスリーの訃報で目覚め、始まった一日でした。しかしその前日の夜は、何も起こらない、なんてことない春の夜。でもその春の匂いの中に死を嗅ぎ取り、そのことを書いた日記でした。

翌年に読むものは随分早くから決めてました。読んだ途端に、これを声に出して読みたい、と思った、川上未映子さんのエッセイから「私はゴッホに言うたりたい」です。
思えば、ここから一つのことが始まったのです。この時の夏に読んで、そして冬に、うちでライブをやってくださった坂本弘道さんの演奏と共に、「私はゴッホに言うたりたい」を再度朗読したのです。この時に未映子さんとメールをやりとりすることになり、そしてその後、うちの店で坂本さんと未映子さんによるライブを開くきっかけになったのです。
その後私が読んだものは、私が以前所属していた劇団でもテキストとして使った、ロジャー・ウォーターズの「死滅遊戯」の歌詞。映画「ヤーチャイカ」で使用された覚和歌子の詩、「ヤーチャイカ」。
そして去年は再度、川上未映子さんのテキスト。「ヨリモ」という読売新聞が出しているWEBマガジンで未映子さんが連載している「発光地帯」の中に書かれた「世界クッキー」というエッセイ。
これを、暮らすメイトのメンバーである女性と一緒に、私の中にある「音楽的なもの」を形にすべく、2人で朗読しました。これは、この時の朗読会でもとても好評だったと思います。

今年の夏は何を読もうか、と考えてましたが、残念ながらまだ、「これだ!」という閃きに出会ってませんでした。いやしかし、確か少し前、「あ、これかな・・・」ぐらいのかすかな光のような、「声に出して読みたいもの」に出会った記憶があるのですが、今は思い出せません。なにより、7月の頭にきしこさんから、今年の朗読会は延期するというメールが来たのです。いつもの、8月最終週の日曜夕方以降は、暮らすメイト朗読会のためにおさえていたのです。それを残念ながらキャンセルしてほしいとのことでした。理由は分からなかったので聞きたいとは思ったのですが、会った時に直接聞こうと思い、とても簡潔な、了解しましたと旨だけ書いたメールを返信しました。
私ときしこさんがメールをやりとりしたのは、それが最後になってしまいました。

もっといろんなことを話したかったなあと思います。亡くなった今、そう思ってるんじゃなくて、いつもそう思ってました。
お会いするのはそんなに多くなく、しかも大抵きしこさんは何人かのお仲間と一緒なので、お互いに、いつかゆっくりといろんなことについて話したいねと思っていたのですが、いつだって「いつか」「また今度ゆっくり」と言ってる間に時間が過ぎていきました。それでも過ぎていった先に、きっとその「いつか」があると、私は漠然と信じていたのですが・・・・。
「いつか」って、来るときもあるけれど、永遠にそれが来ないまま終わってしまうこともあるんですね。
いや、「永遠に来ないまま」ってこともないか。だって僅かながらでもきしこさんと私の小さな邂逅は、あったと思うのですから。

きしこさんはあっちへ行き、私はきしこさんのことを時折思い出しながら、あともう少し、こっちで生きていくんですね。
朗読会は延期されたけど、私は唐突にあっちへ行ってしまったきしこさんに向かって朗読するとしたら、何を読みたいかな、とそんなことを考えています。