高岡大祐テューバ・ソロ

夜からは、高岡大祐テューバソロ。
今回のお客さんは、高岡さんの最近のソロまたはユニットでのライブをよく聴いてる方は多分2人ほど。渋さ時代の高岡さんを聴いてる方が数人。殆どは初めて高岡さんを聴く方ばかり。
これは実はうちの店のどのライブもそうなのですが、私たちは個人的には好きなミュージシャンのライブしかやってないし、好きだからたくさんの人に聴いてもらいたいと思うわけです。ところが当日になると、やっぱり不安なのです。こうして来てくれた方たちにとって、このライブはどう感じられるかなあ、と。なにしろテューバソロ。
だからいつもライブ前は、「私の好き」的視点が一瞬抜けて、ちょっと素になる。素になって、私も一緒にライブを聴いてみる。
1部の最初。なんかだんだん、高岡さんのリズムで自分の内側も暖まってくる。高岡さんが即興で作っていく音楽は、物語を作らないように思う。演奏した30分の中、音楽的物語を作ると言うよりも、まさに瞬間より少し長い線の連なり、な感じ。
音楽は音楽として、別のものに喩える必要などないのですけど、それでも伝えるためにあえて言うなら、その30分で1枚の絵を描くというよりは、そこにある画材とその場所で30分間、何枚も何枚も絵を描いているような演奏、に感じました。
そういうのが、今日ここにいる方々にとってどうなんだろう、と思うのですが、そういう心配もいつものごとく杞憂だったようで、皆さんがそれぞれ、心の中でそれぞれに楽しんでくださったように感じました。

高岡さんの音を聴くのは、私は1年ぶりぐらいかなあ。発信されるものとしては、Twitterで日々、高岡さんの書くものは読んでいる。私はその中に時折、とても新鮮な驚きや共感や、ああなるほどまさにそうだよねという感情を受ける。
そうしたら、ライブでも全くそうだった。
うわ、そうだ!音ってどうやっても出るんだ!なんてことを今日気が付いたかのように驚きながら感じた。
テューバを吹くには勿論熟練が要るけれども、あのバルブを押さえる時の音、または本体を叩く、摩る、なんだって音が出る!
出る音が音楽になるんだー!って、そういうことは当たり前のことなのかもしれないけども、新鮮に発見する。
そうは言っても、そこに絵の具があってそれを紙の上においても、それがただの色である。しかしその色が連なって絵になっていく。そういう、色が絵に、音が音楽になっていく当たり前だけどもすごいこと、が目の前で起きていることに、私の耳がとても喜んでいる!
高岡さんがテューバからいろんな音を導き出すことは知ってはいたけど、知ってはいてもこの日また、それをすぐ側で「聴く」ということは、やっぱりすごい。どう見たって紛れもない一本のテューバから、こういうハーモニーを持つ音楽が生まれてくるとは。
新鮮なこの日。この日の高岡さん。ありがとう、そしてさようなら。
人は、音楽は、いろんなものは、それぞれの速さで更新されていく。
この日見て感じたことはこの日のことで、翌日はまた少し変わっていく、のかも。
毎日、いろんなものが、こんにちは、ありがとう、そしてさようなら。



「またね!」