「ニーチェの馬」


昨日はシネマテークで「ニーチェの馬」を観てきた。
人の一生など、死ぬまでにどう暇を潰すかだ、ということは言いたくもないし、けれどもそうとしか思えない時もある。個人の一生なんて。人間の一生なんて。大きいと言ってもいいし、どんだけちっぽけなんだと言ってもいい。
ニーチェの馬」を観たあとは、起きて、服を着て、水を汲んで、粗末な朝ごはんを食べて、仕事をして、また服を脱いで、寝る、人生はこの反復でまったくどれだけこの退屈は重たいのだ、という気持ちになる。
呪われているのか。馬を鞭打って、それを見たニーチェが発狂して死んだ、そのことに呪われてしまったのか。馬は馬小屋の中で動かず、強風と砂嵐はやまず、退屈だが動いていた日常は止まり、井戸の水は枯渇した。
少女は黙々と重い荷物を運び、黙々と日常を続け、そして馬のように静かに絶望の表情を浮かべる。
この映画は、私の理想とするホラー映画だ。
私は音や映像で強く驚かされるホラー映画が苦手で、もしもそうやって驚かされないホラーがあったら観たいと常々思ってたけど、これがそうだった。動かない静かなロングショットがじわじわと心を侵食していく。どこにも行けない、何もかも静かに閉じようとする世界で、上がる叫び声も泣き声もないその冷えた恐ろしさ。
私たちの毎日は、忙しいだの楽しいだの嬉しいだのつらいだの悲しいだの、儲からないだの原発はどうかだの、そんなめまぐるしい日々を楽しんでいるけれども、私たちの立っているその真下にある世界は、実はこの映画のような世界じゃないかと思って改めて戦慄した。