「おおかみこどもの雨と雪」


細田守監督「おおかみこどもの雨と雪」を観てきました。

細田監督は、作品の中にしっかりと「社会」を提示する人のように思います。
時をかける少女」では、放課後の学校や踏切のある下町の風景がとても存在感を持っていて、そういった街の姿として社会を描いていたように思います。
サマーウォーズ」ではもっとはっきりしていて、「田舎のおばあちゃんの家と大家族」です。私たちの年代には、田舎に祖父や祖母が住んでいる大きな家があって、年に二回の里帰り、そこに親戚が集まって、ということが割合多くあったように思いますが、最近はそういうのは少ないのかな。だからこそ提示してたように思います。「かつての夏。コドモタチはみんな田舎にある古くて大きな家に数日間行くのだ。そこにはおじいちゃんやおばあちゃんがいて、ちょっと変わり者のおじさん、声の大きなおじさん、世話焼きのおばさん、自分の兄弟や友達とはちょっと違った距離感を持った従兄弟がいて・・」という世界を。
様々な映画の中にそういうシチュエーションは出てくるけれども、「サマーウォーズ」はそこに描かれている大きな家族の様々なディテールはとてもリアリティがありました。そして個人的な話ですが、私がそこにトラウマがあるためか、映画が良かったこととは別に、あの家族に関する描写のあれこれが心の中にわだかまったままになってしまいました。私にとっては「サマーウォーズ」はそんな苦い映画です。
そんなわけで、少しだけビビった気持ちで観にいったのです、「おおかみこどもの雨と雪」。

おおかみこどもの雨と雪」は・・。(以下、少しネタバレありです)
時かけ」のときにもわくわくした、あの線一本で描かれているようなシンプルな人物の線。CGを使った精緻な背景と人物線が混ざってて、最初にすごくわくわくさせらました。
「花」が「おおかみおとこ」と出会い、付き合い、そしてある晩、セックスします。男のシルエットはおおかみです。
もしも犬好きの人だったら、好きになった男が実はおおかみだって言われても、きっとセックスしちゃうだろうなあ〜、なんてことをぼんやり思いながら観てました。
生まれた「おおかみこども」である「雨」と「雪」。
彼らは大変にやんちゃです。ありえないことをするし、夜になると夜鳴きならぬ遠吠えをします。あのこどものありえいぐらいのやんちゃさ加減に、私はすっごく、うんうん、と心の中で頷いて見ています。
なんだろう、こんな風に、シーンの一つ一つ、激しく降る雨の音、白い雲と空の青さ、それらの中にあるとてもほんとのことに、強く頷きながらこの映画を観ているのです。
家族は田舎に行くのですが、人から隠れるつもりで行った奥深い田舎の中で育まれていく人間関係。あの共同体のあり方は、「振り返る過去の日本の良かった何か」ではなく、まさにこれからの社会に対するアプローチのように思います。そして、あの子供たちが自ら選んだ、それぞれの生き方とそのための自立していく姿に。
今回の映画で細田監督が提示したのは、厳しい自然の中で生きていくための試練と緩やかな愛情を共有していく共同体の姿。そして、自分が自分として生きていくために自立していくこと。
最初から最後まで、ああすべてに納得してしまうなあ、というちょっと不思議な感想を抱く映画でした。