「ミツバチのささやき」

ミツバチのささやき [DVD]

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すごく楽しみにしていた、映画、「ミツバチのささやき」。
ところで私は、睡眠障害か、もしや。
子供の頃から20代半ばまでは布団に入ってから睡眠に入るまでにものすごく長い時間を要していた。3時間など当たり前で。
しかし今はすぐ眠れて朝もさくっと起きるし、不眠に悩まされることは全くないのだけども、それとは関係なく、どうもナルコレプシーのような症状があるのだ。
覚醒時のはずなのに、私は一瞬で眠りに入って、すぐに起きる。本当に、瞬きよりは少し長いぐらいの眠り。そういう時は、一瞬の夢の中から様々な幻覚を引っ張ってくる。それが、一瞬の後の現実に絡んでくるので、混乱が混じってくるのだ。

ちなみに入眠時幻覚もあって、主に映画館やライブハウスなどでそれをよく見る。もしかして、「それは所謂幽霊だよ」と言われたら、そうかもしれない、と思う。「ただの幻覚だよ」と言われたら、やっぱりそうだとも思う。時折見える、淡い色の黒い人影。みんな座っているのに、何人かの黒い影がぼやぼやと横切ったり、立ち上がったり、ステージに上がったりするのだ。
この映画が始まったばかりの時も、邪魔だった、黒い数人の人影が。映画を観ながら、何度も映画館の隅をうろうろする人影に目を走らせた。
と言う事は、始まってすぐに、私は映画を観ながら夢も見てたんだろうか?
夢の時間は、多分、セリフ1行分、ぐらい。
あるセリフまでは耳で聞いて、字幕を読んでるのに、その次のセリフだけが、または映像だけが、私の脳内で作られたものが混線してくるのだ。ああ、もう、やめて。せっかくの映画なんだよ?混乱はいや。

けど、口を開けている。
口。口。
眠りの口。
映画の中では、井戸の口。
幼い少女が覗いている。死の入り口。
寝そべって、耳を寄せて聞く。線路から響いてくる、近づく死の音。

幼い子供のすぐ側には、いつでも死が、ぽっかりと口を開けて待っているんだね。しかも、それはすごく魅力的で。
私が死のうと思ったのは、あれは幼稚園の時だった。理由など覚えてないけど、悪いことをしたとか、だから怒られるからそれから逃げるためとか、そういうことではなかったはずだ。具体的に悲しいことがあったわけでもなかった。だいたい「自殺」という言葉など知らないはずで、どこから「死のう」という意識を持ってきたかも定かではない。
なのに、唐突にそう思い、自分なりのなにやら小さな儀式めいたものを必要とし、とりあえずたった一人で知らない道を歩いていけば、それが直接「死ぬこと」に繋がるような気がして、とぼとぼ道を歩いていったことを、とてもよく覚えている。

あれは一体、なんだったんだろう・・・。

映画の中の幼い姉妹も、「死」を明確に理解しないまま、心の赴くままに「死」方面に引き寄せられている。
子供を殺したフランケンシュタイン。人には見えざる彼が潜んでいる、古びた家。ぽっかり口を開けた古井戸。
目の前の線路に、体が残酷に引きちぎられることを甘く夢見たか。この手の中のやわらかい生き物の首を、きゅっと、きゅうっと絞めたら、世界は一体どこに動くのか。
そうだ、あれは、あの感覚は、特殊でもなんでもなく、常に、常にそこにあった。おいでおいで、みたいに。「殺す」という言葉の現実感がないまま、なんだかそれをやってみたい、と。「死ぬ」の意味がわからないまま、そこに足を踏み入れてみたいと。

ところでこの映画の前に、志村貴子の「放浪息子」最新刊を読んでたのですが、このマンガの中の姉と弟。特に「姉」像が、「ミツバチのささやき」の「姉」と結びつく。
そうか、姉は死神の手引きをするのだ。
姉妹とも、死に誘われる。
でも、妹を持つ姉は、自らそこへ行くのではなく、そこに妹を差し出すのだ。うん、ちょっとそういうことをしてみるのだ、姉は。
私は、自分が長女だったから、かつての、そういう無意識での選択を思い出して、とても痛い気持ちになった。