「色即ぜねれいしょん」観てきたよ

今日の休みは「色即ぜねれいしょん」を。
始まる前、劇場に流れる音楽。
「あ、大友っちー」
大友さんの音だ。大友さんが弾いてるギターの音だ。幕前にサントラかけてくれてるんだな。

色即ぜねれいしょん オリジナル・サウンドトラック

色即ぜねれいしょん オリジナル・サウンドトラック

映画は面白かったですよ。見て見て見てー!
キャスティングは全部最高。素晴らしい。
これ以上読みたくない人は、ここでやめておくといいよ。

























主人公のじゅんを演じた渡辺大知。なんだもうこのナイーブな無表情、内側から壊れるような笑顔、様々な微妙で奇妙な表情にどきっとする。

銀杏BOYZ峯田和伸もとてもいいけど、くるり岸田繁の顔も。くるりって、メジャーデビューシングルを初めてラジオで聞いたときに、これは結構好きだと思い、そしてなんかこういう風なJ−POPってゆーの? そういう場所になんか新しい方向を持つ風が吹いた気がした。でも、私は時折曲をラジオから聴くでその姿を見たことなかったけど、くるりが何人かも知らないけれど、今日、初めて顔を見た。なんだ、こんなすごくいい顔をしてる人なんだ。それならやっぱり、くるりっていいバンドなんだろう、とそう思った。

しかしエンドロールでびっくりしたのは「堀ちえみ」。見ながら誰だかずっと思い出せなかった。そうか、こんなお母さんを演じる年になったんだ。そして堀ちえみ、すごくいいじゃん。
リリー・フランキーの「父」も、すっごくいいけど。

で、映画を観ながら脱線交じりで思ったこと。
みうらじゅんの青春は、70年代だった。
ちなみに私は80年代。
映画の中にある、青春、自由、大勢で手と手を取り合って歌うことの出来る世代。多分、80年代に入ってそれをみうらじゅんはシニカルに笑ったと思う。
私たちは、そのシニカルな部分だけを最初に入れてしまった世代かもしれない。あの、熱、青春、自由、理想、そういったものは私たちの前の世代で消費しつくされ、80年代に残ったものは「言葉」や「観念」だけのものだったのだなあ、と思った。
私たちは最初からそういうものをちょっと斜に構えて見たし、集団であることよりも個であることに価値を置いていたのだと思う。
けれど私は、私のいた時間をいつまでもいとおしいと思うし、あの時間を作った私よりも上の世代(つまり、みうらじゅんを含む)に対しての敬愛がある。
そして、みうらじゅんみうらじゅんで、その時間、そしてそれを作ったその上の世代に対する激しい憧れや尊敬があるのだな。