「腐男子主義」ってどういう意味なの?

もりしげ著「腐男子主義(フダンシズム)」

を貸していただきました。
絵やら人物構成やら話やら、いろんなことにふむふむと思うところありながらもそのマンガの山をざくざくと越え、そしてまた1冊読み終えて山に手をのばしたら・・・、あれ。ない?
今読んだのは5巻。そして借りたのは5冊? 発刊日を見たら、2009年11月末、ってーことは、これ、まだまだ継続中じゃーん?!
うわおうっ、この、つ・づ・き・はーーー?!

さてさて、今更ではありますが、「腐女子」という言葉はなかなかナイスなネーミングである、と思う。しかし、オノレに「腐」という文字を許した腐女子の皆さんの度量の広さがすばらしいかも。そう思ったけど、ちょっと違うかもな。
腐女子の皆さんの目指すところは、男同士の関係というオノレの萌えであり、その行き着く先はエロですか?そんな言い方はあまりにざっくりしすぎですか?
エロだとすれば、少女である「わたし」が目指してるものがエロだと堂々と表明することは、あまりにもなんだかなというか、どうしても違和感を感じてしまうわけで、「でも、そういうのが好きってことは、私というよりも私の中の腐れた部分がそうさせるの」みたいなワンクッションが必要だったのではないかしら。勿論、その「腐」を心から蔑んでいるわけではなく、「腐」と称することにどこかマゾヒスティックな歓びアリで、一旦自分と「腐の私」を切り離してから再度合成させたのが、「腐女子」という構造かしらん?と2巻あたりを読みながら思ったのでした。

で、このマンガのタイトルでもある「腐男子」ってのはなにかしら?
主人公の数(あまた)くんは文武両道の完璧王子の14歳。けれども周囲から微妙に浮き上がっている。彼が恋するいたいけでまっすぐな巨乳の14歳「のぞみん」は実は真性の腐女子
さて数くんは、腐女子であり同人誌を作っているお姉さんがいて、その姉のお手伝いをさせられることになる。強引にゴスロリ系の女装をさせられ、コミケで同人誌の販売の売り子をさせられる。そこで偶然にものぞみんと出逢ってしまうのだ、というお話。

腐女子」というのは、どんな小説やマンガ、ドラマを見ても、そこに男が2人以上あれば絶対に何らかのエロに繋がる関係が発生するはずと虎視眈々とし、妄想を膨らませるもの、と私は思っています。
で、タイトルでわざわざ「主義」まで付けている「腐男子」という言葉の意味は、その「腐女子」の男子版、らしいのです。wikiによると、
腐男子(ふだんし)あるいは腐兄(ふけい)とは、ボーイズラブ(BL)・やおい作品を好む男性のこと。腐兄は父兄のもじりである。最近はガールズラブ(GL)を好む男性も指すようになった。」とあります。じゃあ、それが正解ということかな、世の中的に。
ところが、「腐男子主義」に出てくるのは、そう定義された男の子ではないのです。
何故なら主人公の数くんは、「アマネ」という名で女装を続け、のぞみんと友達になり、のぞみんのことをもっと知るためにものぞみんの大好きな同人モノを研究していくのですが、決して彼はそういった同人モノが好きだというわけではありません。同人モノも女装も、すべては「のぞみんと友達でいるため」という目的のための手段です。
また、4巻あたりで漫研の清川くんが「ぼく、腐男子」みたいな発言をするのです。しかし腐男子発言をした清川くんも、彼は単にエロに対してフリーダムな男の子で、エロの追求とあらば、男の子の大好きなエロい絵も書くし、女の子が萌えるやおいモノも読むし、女装もする。どこにも越えるべきハードルなど無いかのようです。そういう意味で彼を「腐男子」と呼ぶには違うような気がします。

私はてっきり、「腐男子」ってのは、このマンガ「腐男子主義」を必要としている読者の中にいる人を指す言葉かと思って読んでました。
腐男子主義」というマンガを前提として、私の勝手な解釈なんですけど。
ポイントは「女装」で、それは性癖と言うには少し弱く、性同一性障害の人の本来の性に拠る当然の希求でもなく、「好きな女の子を理解し、彼女のそばにいるために仕方なく・・・」という言い訳があって成立してる女装、そのシチュエーションに萌える男子が「腐男子」ではないか、と。女装してみたいのではある。出来たら巨乳にもなりたいのである。でも、そういってしまえば「変態」になってしまう。「腐女子」が一旦「腐」として自分と切り離すのと同様、ここは「変態の僕」ではなく、やむにやまれぬ事情付きでの女装という設定で初めて萌えることが出来る、そういう構造ってあるんじゃないかしらん? そういう感覚を持つ男子を「腐男子」と定義するのかと思っちゃった。
そう考えると、このマンガの登場人物が14歳って設定に大きく頷ける。
私の感覚だと、女の子の肉体や生活環境など、高校生ぐらいの設定がしっくりくるのだけど、同じ男として「女装がいともたやすく出来る肉体」というリアリティの面から考えると、14歳ぐらいでないといけないということか。14歳の女の子の肉体でないことは、男の子のファンタジーとしてOKだけども女装するための男の子の肉体って部分にはリアリティがないと萌えられない。うん、すべては萌えのためなんだな。

さて、この解釈での「腐女子」と「腐男子」の大きな違いは、腐女子は(一般的には)男装をしない。(コスプレとかはありでしょうけど、やおい的観念で自分が男装したいという欲望は、あまりないのではないかしら?)
でも、腐男子は、女装を夢見る。現実に女装するかもしれない。そこに欲望も、ある。
そう考えると、腐女子の世界において女子は、「世界を作る(妄想する)神」になるのだけども、登場人物としての女性である自分は要らない、なのだなあ。出来れば会社も学校もどこも男性だけでよく、その男性同士の関係性を妄想することを欲望する。
そこらへんが、少し、男性と違うような気がするのだけど・・・、ああ、なんかもう夜も更けてまいりました。またいつか考えよう。