「東のエデン」

月曜日のお休み。まずはTOHOシネマズベイシティで映画「フィリップ、君を愛してる」を。
その後、友達と合流してミリオンで「東のエデン」。
「なんか女性が少ないねー」と話してた。
確かに、あと一人(だったかな)若い女の子がいるだけで、あとはみんな男の子。「涼宮ハルヒ」にはもう少し女の子がいたこととか、「ヱヴァンゲリヲン」に意外と女の子が多かったことなど思い出してたのですが。
涼宮ハルヒの消失」同様、テレビでの深夜アニメを観た上でないとストーリーを把握することが出来ない映画なのですが、その視聴者層は若い男の子がメインなのでしょうか。
そう思ったのですが、映画観てる途中で、そういう理由ではないところで、これは確かに女の子がそんなに観ない映画だったわ、と思いました。本当は若い男の子だけではなく、女の子にも、おじさんおばさんでも観たらいい映画だと思うんだけども。
これは、政治と経済について描いたアニメだからです。

例えばアニメでは(アニメじゃなくてもエンターティメントの表現物全般でいいけど)、地球を侵略する異星人、または謎のウイルス、または天変地異、またはマッドサイエンティストから「地球を守るため」「愛する人を守るため」に戦ったりする内容は、とてもすんなりと受け入れられるのですよね。
けれどもそれが、不況、閉塞感、そういったものから政治や経済という視点で戦ったりする内容となると、すんなりと受け入れられないのですね、と改めて気付きました。
日本では、「日本をもっと良くしよう」と言う人に個人として相対したら、まずは「宗教デスカ?」「政治の話? それとも洗脳なの?」とか「エコの話? それともなんか買えって話?」とか、まあとにかく眉毛を寄せて胡散臭く思いながら5mほど離れてそれを見る、というのが一般的な対応ではないでしょうか。そのスタンスは、第2次世界大戦の敗戦から来るトラウマ、及び植えつけられた思想で、戦後以降に根付いたものだと思います。
その部分にはっきりと切り込んでいった神山健治監督の「東のエデン」は、だからこそ私にはとても面白かったのです。

Mr.OUTSIDEという謎の人物によって選ばれた12人。彼らは「セレソン」と称され、電子マネー100億円と「ノブレス携帯」を与えられている。彼らはその100億円を使って「日本を正しい方向へ導くこと」という義務を与えられる。もっとも早く、100億円を使い、なおかつ「日本を正しい方向へ導く」最良の結果を示した者がアガリであり、それ以外のセレソンは消されてしまう。
と、このようなゲーム設定を用いての展開も、とても面白い。

テレビシリーズが11話あり、その後、話は劇場版として1部、2部に分かれて上映されました。
さて、今回の2部、私は幾つかのシーンで心臓が音を立てるほどドキドキしたよ。すごく派手なシーンではないのだけども、このお話が最初から持っていた謎が解き明かされる片鱗が見えた部分で、ドキドキドキ・・・!と。

ここからはある意味ネタバレです。

この映画の終盤にかけて、それまで謎だった部分は解かれていき、登場人物は今回初登場の人物含めて全員が現れていき、一斉にそれぞれが目指す地点に走り出し、それはもうゲーム板の上、誰よりも早くアガるために加速しながらカードがめくられていくようでした。
けれでもこの話は「○時○分までに××しないと地球は滅亡」とか、そういう話ではないのですね。だからドンパチの末にボスキャラと対決、ではありませんでした。
飛びまくるミサイル、散らばる血肉、破壊される建造物、の末に現れる救世主、でもありませんでした。
そういう意味では、ノブレス携帯に電話するだけで、残金さえあればミサイルを打つということさえ可能であり、しかもそれを行使している物語のクライマックスとして、この「何もなさ」はひとつの驚きだったと思います。しかし、私はそこにとても積極的な意思を感じました。

この日本という国が、今、自分にとってどうなのか、を考えてもいい。そして「良くしたい」って思ってもいい。
それを考えていく末には、全体的視野から来る個人の軽視、経済的発展の優先、さらに進む格差社会、宗教、環境問題、などなど、幸せとはなんだろうか?などなど、理想って本当に実現するの?などなど、様々なことにぶつからざるを得ないし、様々な考え方があるということを認めなければならない。そのどれにも正解と誤答が含まれているということも認めなければならない。だからどこまで行っても本当の正解など見つけられない気はする。そういうリアリティと、「考えてもいいよ。一緒に考えていこうよ」という神山監督の意思を伝えるには、けれん味のある展開でスカッと終わるのでは、それで気持ちも満足してエンドマークがついてしまうのです。そうではなく、これはとても考える余地を大きく残してくれたエンディングだと思いました。
続く、続く、終わりなどなく、滝沢くんが、そしてその次の世代、ずっと先の世代まで考えることをやめないでいようと。

ところで、この日、お出かけする前の午後1時、私はネットで東京都庁で行われた「非実在青少年規制」の条文を含む東京都の「青少年健全育成条例」改定の動きに関して、マンガ家・評論家・出版社有志による緊急集会の前の記者会見をニコニコ動画で見てました。ちばてつお、永井豪竹宮恵子などなど参加してました。
これの詳細は、例えば、竹熊健太郎のブログ「たけくまメモ」などをご覧ください。
http://takekuma.cocolog-nifty.com/blog/
東京都の条例として、マンガなどの表現物における18歳未満と見える絵の人物(年齢設定が18歳以上でも、「いやー、このかわいらしげな絵は18歳未満に見えるでしょー」とおカミが判断したら、それはもうアウトらしいのだ)の性表現を禁止するというものを作ろうとしているらしいのだ、東京都は。
この「表現規制」にひどく暗澹たる思いがするのですけど、映画を観ながら、このままじゃみんな東京(的なもの)から離れて豊洲(的なところ)に行っちゃうぞ、とか思ったりしたのです。