「風と木の詩」から私が得たもの

今日は竹宮恵子の「風と木の詩」のことを考えていました。

風と木の詩 (1) (中公文庫―コミック版)

風と木の詩 (1) (中公文庫―コミック版)

1976年から週間少女コミックで連載が始まったのだそうです。34年前? 私がギリギリ小学生?
中学生の頃の私は、萩尾望都竹宮恵子もなにやらとてもいやらしい感じがしてました。それを読んでいる女子と自分を隔て、少女マンガなら「りぼん」、後に「マーガレット」、それから手塚治虫少年マンガ
当時の私は小説などからエロは吸収してたのですが、何故かマンガに関しては巧妙に迂回してたみたい・・・。
それが・・・、高校2年生の頃かなあ、きっと何かで知ったのだな「風と木の詩」のことを。それで、1巻、買ったんだ。翌日、2巻と3巻を買った。その翌日は4巻と5巻と6巻を買って・・・・。
ビンボーな私にとって一遍にマンガを3冊買うなんてそれまではありえないことでした。だからものすごくドキドキしたよ。けれども、これを読みたいと思う気持ちは止められるものではなかった。
もう既に外は真っ暗。刈谷駅前の三陽堂書店。私はセーラー服を着てて、そしてとても後ろめたかった。

沈む夕陽を眺めながら、太陽が大地にキスをしているんだよ、なんていうセリフが確かあって、キスしたことのない私はその接点に焦がれたんだ。
裸の肌が気持ちいいってジルベールが言って、私も、服を脱いでシーツの中にもぐりこみ、自分の腕で自分を抱いてみた。ジルベールの気持ちよさは私にはまだわからなかったが、ジルベールが触れているセルジュの肌の滑らかさを、想像の中、指でなぞる。
コドモタチが、あまりに孤独なゆえ、求めるのはただ他人の肌だけで、本当はそういうことだけども、それがセックスに変わっていくには、確かに彼らは幼すぎたのではあるけれども、一体コドモタチをそこまで追い込んだのは誰だったんだろう。
確かに、当時の私にとって、あのマンガから熱い吐息を、肌と肌が接する感じを、触れられるのを待つ唇を、背中に這う指を、どれほど思い巡らしたか、どれほど焦がれたか。けれども、目を凝らしてみてたのは、その奥にある、あの孤独の物語、そしてその中から希望を探す物語、そういうものだったのだなあー、なんてことを、今日、考えてたんだ。

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