気がついたら、この10日間ほどは非実在青少年がセックスするマンガばっかり次々読んでた!
別にそーゆーテーマでチョイスしたわけではないのに・・・。

「女の子は特別教」タカハシマコ
多分、ロリ好きのひとが読む雑誌に掲載されてたと思われるマンガ。
男の子や男の人は、少女の裸や少女とセックスすることで癒やされる。癒されつつ、泣く。女の子は「どうして? いいよ?」とあどけなく笑う。
そこにはどうしようもない痛みがありありと見えてくる。

「蛇比礼(へみのひれ)」山岸凉子
多くの人と同様、山岸凉子も多分、児童への性的虐待に激しい嫌悪感を持っていると思われる。そういうスタンスで、神話や怪異物の要素を引用しつつ、コドモと性についてのマンガを多く描いている。
陵辱されていたコドモが、今度はオトナを翻弄し、破滅させていく。セックスというのは、関係を幾重にも反転させていくのだな。

「愛とは夜に気付くもの」よしながふみ
よしながふみのBLモノ。革命前のパリでの、貴族のぼっちゃまと執事との愛の物語、みたいな、女子のためのエロ漫画、みたいな。セリフは昔ながらの男性向けのエロ漫画をあえて踏襲している。
「いやらしいぼうやだな。もっと何か言ってみろ。ん?」とか。ちなみに理知的で従順な執事が、セックスの時だけはぼっちゃまにこういうセリフを言うのだ。
このマンガはどう見ても、女子のためのエロ漫画解禁!みたいなフェミニズム的なメッセージを感じずにはいられない。

「幸せのひこうき雲安達哲
小学生の男の子が、担任である美しき女性教師の歪んだ欲望のために、性的奴隷となる物語。初めて安達哲という人のマンガを読んだのだけども、湿った欲望が充満してて、いやぁな暗さに包まれている作品。しかし、その終わりにとんでもなく楽観的なものがひそんでいる。それはまさに、セックスは関係を反転させる、という特質のせいか。
陵辱されるものが、それを愛にすりかえる。
辱めを受けることを、快感に変える。
そして、セックスで得た快感は、どんなに強くても、終わってしまえば泡のように消えてしまう。快感だけではなく、痛みさえも。
だから、セックスを重要なモチーフにしながらも、セックスの歓びも痛みも、たかが一瞬、たかがこんなもの、とそう捉えてもいいんじゃないか、みたいな考えも窺える。

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いやー、なんか本当にたまたまだったんだけども、手にしたマンガがどれもコドモとセックスが関わるものばかりで。
しかし、こういう作品が規制されたりしては、それはいかんと思うのですよ。

非実在青少年読本」というのが徳間書店から出るらしい。
http://www.sarnin.net/tokuma/index.htm