「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」


今日は、109で「Pina/ピナ・バウシュ 踊り続けるいのち」を観てきました。ピナの作品、振り付けの面白さ、そしてヴェンダースによる街の風景と踊りの融合の面白さは素晴らしかったし、透明感のある3D映像、音楽、そのどれもに私は楽しめました。
その中でもっとも私にとって興味深かったのは、ピナのヴッパタール舞踊団のダンサーたちの肉体です。

私は20代前半から今の店を作るまでの13年間就いていた仕事があり、その仕事を私は心から愛していました。その仕事に就いてすぐに私が学んだこと、それは私にとってシンプルでとても大きなものでした。
人は、痩せてようが太っていようが小さかろうが大きかろうがそれぞれがみな面白い、ということです。
面白い、は、美しい、に置き換えても悪くはないのですが、歪みの面白さや醜の面白さに比べ、時折「美しさ」の概念は物の形を限定してしまいがちなので、あえて「面白い」という風に考えました。体のいろんな形はその人の生きてきた軌跡を表してて、そのどの形も面白い。老いて曲がった背中も。浮かんだアバラも。おなかにたっぷりついてる脂肪も。
かつてそう思い、その発見は以後の私の力になりました。それでもやはり、若さの元にある「美しさ」の概念は私に劣等感をもたらします。引き締まってメリハリのある体やシミひとつない美しい肌や力を放つ目の力に憧れます。若い女の子のおしげもなく露出した足に惹かれます。
それでも40代になって、どこか気持ちが楽になったんだよ。以前よりももっと楽で自由になっていった部分もあるけれども・・・、それでも私、48歳になり、そして先月、突然生理が来なくなりました。ちょっとポカンとしてるんです。「・・ああ、そうか・・・」とね。それ以上はもう漠然としたままあまり考えたくなかった。老いる、ということが正直怖いのです・・。

ちょうどそんな時にある私はこの映画を観れて本当に良かった・・。
20代前半に「人の体はどんな形も面白い」とはじめて感じたことを、この映画を見ながら何度も何度も思い出したから。
ピナ・バウシュが選んだダンサーたちは一般的に思い浮かべるダンサーに比べれば異形、と言っても過言ではない。
老いた顔。顔の皺。とても小さいダンサー。大きなダンサー。平面的なアジア系の顔。あえて伸び放題で梳かされてないボサボサの髪を一つに結わえて。痩せた乳房。そういった姿をしたダンサーたちのダンスの中から溢れ出す儚さや胸が痛くなるような哀しみ。または強い喜び。
彼らが、この小さな体を、老いていく肉体を、受け止めてそれを繊細に表現すると、このような胸を打つダンスになるのか・・・とふと思う。踊るすべての肉体が面白かった。そして、美しかった。
「踊り続けるいのち」か。私もいのちが絶える最後まで踊り続けていたいな。喜んだり悲しんだり怯えたり諦めたりしてまた喜んだりを繰り返しながら。ほんと、そうありたい・・。