「息もできない」

火曜日の夕方、シネマテークにて「息もできない」を観てきました。
韓国のインディーズ映画で俳優として活躍していたヤン・イクチュンが製作・監督・脚本・主演した作品です。
予告観て、暴力シーンとヤン・イクチュンの風貌から、初期のキム・ギドク作品みたいなんかなあと思ったのですが、見たら全然違うなあという感想。
冒頭、やけにクローズアップが多いなあと思いました。私は映像の技法などわからないんですけど、生々しく、そして臨場感ある感じ。
ヤクザのサンフンが道で女を殴っている男に遭遇する。サンフンは男を殴り、蹴る。女を助けたかと思いきや、その女の頬をサンフンが打つ。「殴られてばかりでいいんかよ」とサンフン。
このセリフは重要だ。殴るものと殴られるものはいつでもずっとその構造のままではない。殴られたものはいつか殴るものに変貌していく。時に殴るものと殴られるものとの立場が反転する。そのような暴力の構造。生きていく中にはかならず暴力は組み込まれている。残念ながら生きていく中でそれを全く排除することなどできない。とりあえず、なるべく暴力のある場所から離れて生きることを望むしか出来ないだけで。しかし、誰も望んではいないのに、暴力から逃れられない場所で生きている人たちの視点が抽出する、子供と親の物語。家族の物語。ループしようとする暴力とそれを断ち切ろうとする物語。
カメラは先ほど書いたクローズアップと、それから街中でのブレる手持ちカメラの映像が、彼らのいる町や生活を生々しく映し出していた。
それから、インビジブル・フィッシュによる音楽がとてもいいです。ギターのよる楽曲もいいんだけども、それほど音楽を多用せずに効果的に入れる映画全体のセンスがとてもいい。

映画の中で、サンフンが女子高生ヨニに言います。
「どう生きればいい?」
ヨニはこんな風に答えたと思います。
「私のためにお金を使えばいいのよ」

うわあ。なんかね、この映画の中でなるほど!と思うセリフでした。
貧困の中で暴力が育っていきます。それでなんとかお金を得ようとして、しかしあまりにもマイナスが多いため、それを埋めるお金を得ようとすれば更なる暴力のある場所にそれを求めざるを得ません。例えばサンフンは、金貸しの取立て屋。日々、人を殴って借金を取り立て、友人でもあるボスはサンフンに多額の謝礼を払い、サンフンはそれの使い道さえ知らない。
お金って、他人のために使えばいいんだな。や、自分だけのため、であってもいいんだよ、使い道さえ知ってる人ならば。でも、使い道を知らない人間は、愛する者に使ってしまえばいいんだな。そうすることで明日も生きていける。暴力の連鎖を切ることが出来る。ああ、なるほど、このどん底の男は、そうやって生きればいいんだ、となにやら深い納得・・・。

この映画は本当にヤン・イクチュンの筋が1本通った映画です。家族も、暴力も、愛も、悲しみも、そのどこにもなんていうか嘘がない、そんな気がしました。是非、観て欲しいと思う映画です。